あかんたれブルース

継続はチカラかな

連動記事を終えて(その意味と意義)



ロマン議長の呼び掛けに呼応して、
広島長崎の原爆から、終戦記念日までの怒濤の九日間。
それを終えて、感慨に深く想いに耽っております。

異なる意見・姿勢をもつものたちが「平和」というひとつの目的を
たよりにして、繋がる。行動する。
結構なことだと思いました。まずそこからだよね。

この国は、
たとえば、「この国」と表記しただけで批判されてしまう。
この国は混沌としている。

自由というものを、あたかも引き替えにしたかのように
それぞれが主張して批判しあって、そして方向性を失って
身動きがとれなくなっている。
信頼することは稚拙なことであり、疑うことが知性だとされている。
平和の名のもとに、言葉さえも封印してしまう。
死を語ることはタブーとなり、生きることだけを賛美してやまない。

多くの者たちが、その生きることにさえ疲れている。
どこかで、わたしもそういう考えに陥ることがあります。

そういったなかで、
日本と日本人に落胆し、愛想を尽かしてしまう者もいる。
そういう気持もわからないでもない。

そういうのが痛い。痛いんだな。

異なる意見・姿勢をもつものたちが「平和」というひとつの目的を
たよりにして、繋がる。行動する。
結構なことだと思いました。まずそこからだよね。しかし、
できるのか?


弥生さんの記事を読んで、また別な意味で痛かった。
知識は必要なのか。いや、知識はあるよ。ほら、ここにある。
時間をかけて、詰め込んだんだ。

バランスをとろうとする自分がいる。

近現代史を考察するなかで、それを「書く」という作業に置き換えるうえで、
必死にバランスをとる自分がいる。
まるで、地雷原のなかでバランスをとるために長い物干し竿をもって
まっすぐに歩く滑稽な自分がいます。

孤独ではなく、孤高であるのだと言い聞かせて、バランスをとる。


AKARIさんの記事に対するななさんのコメントが痛かった。

平和を語るには条件が必要なのだろうか・・・
約束ごとがあるのだろうか


バランスを取ろうとします。

もう少し、別の角度から記事をアップしてみようか・・・
バランスをとらないと・・・
ルイちゃんに相談した。気のない返事。夕方のことです。それでも
これじゃあ、不完全だ。片寄ってしまう。

バランスをとろうとする自分がいる。


さっき、つ〜たんが「終戦記念日」として、記事をアップしていた。
そこには、彼の祈りが託されていた。
最後の言葉、「個人としてあることに未だ未熟な民族」にわたしは震えた。
そして、ハルジオンさんの「正義」をテーマにした記事と結ばれる。

わたしにとって、このふたつの記事と連動することで
今回のひとつのテーマが完結したような気がします。

異なる意見・姿勢をもつものたちが「平和」というひとつの目的を
たよりにして、繋がる。行動する。

連動記事の意味と意義

ようやく、わかったような・・・


えっ? 遅い(汗)?

う〜ん、遅いよ、つ〜たん。
悩んじゃったじゃないか(笑)!