あかんたれブルース

継続はチカラかな

昭和天皇よ、なぜ自決されなかったか

天皇と戦争の責任(2)


昭和天皇よ、なぜ、あなたは自決されなかったのか。

こんなことを言うと不敬となるが、
敢えて、日本国民の一人として言います。
わたしは、あなたに戦争責任を負わせる考えに賛成する者ではない。
しかし、
敗戦より65年経った今現在でも
わたしたちは過去の過ちを糾弾され、沈黙を余儀なくされております。
それは、私個人の問題ではなく、私たち日本人としてのつらさです。
それに言い返す言葉はあるのだけれど、
彼らが人質にする「自由」と「平和」。
そして「過去の歴史」というものが、わたしの気を削いでしまう。

その歴史というものを想像すれば
卑怯で、意地悪で、恥知らずで、狡くて、無知で、頑迷な
兵士の姿が浮かびます。
それは兵士だけではなく役人や政治家や一般人の姿もある。

と同時に、清廉で、誠実で、思慮深く、真面目で、優しい
兵士の姿も浮かびます。
それは兵士だけではなく役人や政治家や一般人の姿もある。

どんな民族にも、どんな時代にも、環境にもそれはある。
けれども、彼らはそれを許さない。

わたしはそれがとても悲しい。

この国は、国民は、自由と平和の名の下に、それを人質にして
呪縛され、分断され、混沌を続けている。
それを振り払う方策は「無関心」と「無責任」だと信じ込まれている。

あなたに、すべての責任を負わせることは胸がいたみますが、それでも
わたしは、あなたに自決してほしかった。
いま、それを痛感します。

あなたが自決していれば、それに連なる者達はその責任を逃れ
うやむやにすることはなかったでしょう。
恥知らずの高官を生むこともなかったと思います。

その意味でもあなたの死には価値があったと思います。
少なくとも、今現在、そのことを、とやかくいわれ、後ろめたい卑屈な
想いに駆られることはなく、
日本人はもっと胸を張って生きていけたかもしれません。

血の代償を血で贖うという考えはまったく理論的ではないけれど、
アジアの2000万人という被害者に対して
人間宣言をされたあなたの一人の命とバランスがとれるというならば、
非道ではあるけれど意義深いことかもしれません。


無論、あなたが破綻した日本を復興させるために、死ぬことよりも
つらい、生きる選択をしたことは想像できる。
それは立派なことだと思います。
戦後復興のなかで、八年をかけてあなたが全国を巡幸されたことを知っている。
その映像は早送りもコマでとてもコミカルではあるけれど
そこに映し出される民衆はあなたを恨むのではなく
あなたを歓迎し、力と勇気を分かち合っていました。
無論、映像に映っていない人たちもいたことでしょう。それでもあなたは
戦後の象徴天皇として立派にその役割をはたしたと感じます。

それでも、だからこそ、あなたは自決すべきでした。

その時機は、全国巡行を終えた昭和40年か、もしくは
もう戦後ではないといわしめた1970年の大阪万国博覧会の終了を
ひとつの節目として、皇太子に印綬を渡した後、自決されるべきでした。

浮かれ騒ぎの祭の後で、その最後を飾るに相応しい
死に場所だったのではないでしょうか。

そうすれば、その後にこの国を襲う物質文明から日本人の良識を失う
厄災も緩和できたかもしれません。

それでも、あなただけでは許されないというのであれば、
皇后も後を追ってもかまわない。

それでも、許さないというのなら・・・

どこまで、恨みは続くのか。

そうじゃない、天皇制に問題があるという者もいるでしょう。
要は、狙いはそこなのでしょう。

であるならば、
日本は法治国家である。
民主主義の国である。
そのなかで、民意として、天皇制を受け容れている以上、
それを誰が批判するのか。

もし、日本人がそれを望まないとするのであれば、いますぐに
止めればいい。

署名活動でもなんでもして、民意を表す証明を国会に提出し、
それを議会で採決できないというならば、国民投票で決めればよろしい。

この国は法治国家として、民主主義の国として
それに従うだけです。

「責任」をもって