あかんたれブルース

継続はチカラかな

ロマン議長へ



事情は分かりました。
断片的なコメントは目にしていたの、大枠は想定内のものでした。

よい機会なので、ここでオープンにしてメッセージを送ります。

そもそも、今回の連動記事は
それぞれの思想や意見や姿勢は違っても
「平和」という目的が一緒ならば、それを共通認識として
語ろうという主旨のものだった。それでわたしも結構なことだと思い
賛同しました。

ところが、それに便乗して
自説をコメントとして宣伝する行為があったので注意を促した。
それさえも、そこのブログを荒らす行為になるのと考えて
わたしは自分のブログに誘導しました。
そのときはすべてオープンにすることを前提としてです。

なぜ、こういった行為に危惧したかといえば、
もともとの主旨から外れてしまうからです。
平和という共通認識でそれを語るものが、一方向からの(正義)主張からの
発言、および事実(歴史)認識という各論を主題にしなければ
その「平和」は語れないという、主張に異議を持ちます。

そういうことであれば、連動記事にする必要はない。

ましてや、そういった行為によって、
あたら論争を呼び込んで収集がつかなくなることは
この企画が火に油をさすことにもなる。

それを危惧したから
なにも好きこのんで、自分のブログを汚して、時間を割いて、
わけのわからない誹謗中傷を浴びてやらないよ。

色々な意見はあっても、それを自儘に声を大にして訴えることが
この連動記事の主旨ではないはずです。

そこで、なにかしらの規定、規約を提示しなければいけないとなる。
しかし、記事の内容にあれこれ制約や条件を入れるわけにはいかない。
そこで、ルールというよりも、マナーとして、
「お客さん」へのコメント文字量等の注意点を盛り込みましたが、
さて当人にどれほど伝わったことか不明です。

なによりも、その参加者の姿勢に問題はあるのではないですか?

管理人自身の記事内容以前に、そういったマナー違反のお客さんを
容認するということは、「セット」と考えられなくもない。
わたしは今回初対面だったので、その管理人さんとお客さんの
それまでの交友関係を知りませんでした。
また、その管理人さんと議長の関係も知らない。

たとえ、知らなくても、端から見てあの行為は異常に感じました。
早い話がブログジャックではありませんか。

にも関わらず、その手法を該当管理人以外にも拡大させていく。
「嫌なら削除すればいいだけです」という論法で推し進めます。
それを目撃していた者からは
「恐い」という意見が出ている。

その強硬な行為は鬱系の友人にまで平等に行使されいきます。
まるでリトマス試験紙のようなこの行為に対して、
ストッパーはかけられないようだ。

そんななかで、いくら火消しをしても
マッチポンプでしかなと、わたしは思う。

また、問題の本質は、その実行者ではない。
彼女の素性はもうすでにオープンにされているので
鬱系の方々以外ならさほどの実害もないと思います。

問題は、参加者です。
そういった行為に毅然とした態度で望めるか。
また、「嫌なら削除」できるか。

色々な意見があってかまわない。わたしはそう思います。
言論の自由。これは民主主義における権利のひとつです。
しかし、その自由を履き違えていないのか?

民主主義の権利には義務が付随します。
義務とは、言論の自由であれば、その言動に対する責任です。
無責任なことを言うの自由ではない。

その発言、記事内容に対しての責任の指摘は難しいかもしれません。
しかし、その姿勢に対する責任に対してはどうでしょう。

結局は、この連動記事に参加する参加資格とは
そこにあるのではないでしょうか。

お気楽に好き勝手なことをいう連動記事の呼び掛けであれば
わたしはそういうものと一緒になるのは嫌ですし、
それが新たな論争のタネになるお先棒を担ぐのは嫌です。
声の大きいものが抑えつけていき、嫌なら消せよと嘯くそんな
優しさや弱さを人質にとる正論が罷り通るテーブルではいけない。

だから、むやみに参加者を募らなくていいのではないですか?
その人にはその人の体調やら事情やら時機というものもあると思います。

第二期をやる所存ならば、それなりの方策を提示してください。
見切り発車とか、試行錯誤じゃ今回はダメです。
トラックバックや別立てブログも有効だと思いますが、先々のこともあるので
議長声明として、その主旨と参加者の責任と姿勢を
入れるわかにはいかないのですか?
完全ではなくても、第一期のマナー以上のものを提案していただくことを
せつに願います。
まず、そこからでしょう。