あかんたれブルース

継続はチカラかな

皇軍の実態

しきちゃんへの伝言(10)


旧帝国陸海軍、所謂軍隊を皇軍といいますよね。

天皇の赤子である、兵士たちは天皇の軍隊であるわけだ。
兵士だけじゃないよ。小銃から弾薬、戦闘機から戦艦まで
恐れ多くも天皇陛下から賜った貴重なものである。

ことの発端は西南戦争での乃木の軍旗紛失事件からだとはすでに述べました。

国を治めるのは大変ですが軍隊を束ねるのも大変です。
戊辰戦争直後に長州兵などが反乱を起こした。給料や待遇の不満が原因。
その後には竹橋事件というのも起きている。
君達がいう「天皇教」が浸透していなかったのが原因でしょう。

軍隊もそれによって束ねようとした。これは間違いない。
けれども、そんなのは建て前でしかないのです。

天皇という建て前が利用されていきます。
その意味で、日本人は狡猾でもある。

日露戦争の後、児玉源太郎の死後、強力なリーダーを失ったと書きました。
同時に、軍隊が官僚化していきます。
これは藩閥の力の失墜とも重なっていく。皮肉だよね。
あの東条英機だって反長州閥なのですから。
そして、皇道派を潰して権力を掌握していった。皮肉です。

皇軍のいいかげんさのなかにイジメがあります。
軍隊のイジメは有名だよね。
この背景に「天皇」が意識されている。
でもさ、だからといって天皇がイジメの原因じゃない。
イジメるやつはイジメめる。いつの時代でも同じです。
海軍兵学校校長だった鈴木貫太郎は口をすっぱくしてイジメするなといった。
でも、その頃から最初から変わらない。
イジメるやつはイジメめる。イジメないやつはイジメない。
現在の体育会系の世界でも同じ。
だいたい後者が優秀ですが、優秀な人材は少ないものです。

軍規が乱れていった。
指揮官の質が低下していったのだ。天皇の効力ではなく、それが利用され
イジメは陰湿化し、欲求不満の発散にイジメが行われた。
それは軍隊だけでなく、軍隊単位で行われた。
陸軍は中隊を家族単位とします。この指揮官の手腕によって差がでます。
それ以上にみんなイライラしていた。
日露戦争は国家存亡という危機感があり大義名分があったけれど、
大東亜戦争にはそれが希薄だったこともあるでしょう。
亜細亜の開放といっても、最初は歓迎されたけれど・・・

戦争のメカニズム、その実態は非人間的なものです。
つらい。しんどい。暑い寒いひもじい。眠い、痛い、痒い、臭い。
仲間が死ぬ。自分もいつ死ぬかわからない。極限状態で
人間が狂ってしまう。
それを性的な発散で解消しようとした。
天皇の効力より、セックスの効力でなんとか束ねようとしました。

日本人の施政者の発想はこんなところです。
ま、それを放任して容認する他国よりもマシかもしれませんが
50歩100歩です。
戦争が人間を狂わせる。そういうものだ。

皇軍、愛国、軍神、英霊・・・
色々と語られ、同時に批判されますが、本質はそんなに単純じゃない。
軍刀で人を斬れば刃こぼれがします。
一寸を研ぎ師が磨き直せば現在価格で約3万円。
人の命と刀の研ぎ賃を比較するなどとんでもない話ですが
そこに現実味を加味させてください。

戦時中まで靖国神社には英霊の遺品である軍刀
遺族から奉納されていたそうです。
これ、どうなったと思う? いま靖国神社にはないよ。
終戦のどさくさに業者が来て鍛冶屋に
「村正」とか「正宗」とか「菊一文字」とか「剣菱」とか「黄桜」とか
ワンカップ大関」とか「のものも」とか掘らして
クリスティーズに売っぱらちまったそうです(汗)。

特攻で戦死した英雄がいました。
全国からその勇気を称えて、寄付金が寄せられた。
銅像でも建てようと思ったか、若しくは遺族への義捐金だったか。
この金、みんな役人が飲んでしまった(笑)。

日本人にはそういたくましさがあるのです。
でなければ玉音の放送一発で洗脳が解けるわけないじゃないか。
第一、 何を言っているかわからない内容だったんですよ。

天皇陛下万歳といって死んだ兵士が稀だったこと。
実際に敗戦で陸海軍で自決した兵士がどれほどいたか・・・
(その動機だって人それぞれです)

わたしがいいたいのは天皇とか天皇(制)自体を的にしても
意味ないってことです。
それを利用した強かな日本人の実態にこそ問題がある。

でも、そのことは決して認めようとはしないよね。
なぜかっていえば、そんなことはハナからどうでもいいんだ。
具体的なターゲットが必要なのだ。そうだろう。違う?
騒いでいたいだけなんだ。

そんなことに気をとられいると足をすくわれるぞ。
わたしたちはごめんだな。
もっと発展性のあることに熱中したい。
そう長くもない人生だし、有意義に使ってみたいと思う。
そう、思わない?

戦争の非効率性を訴えることは有意義だと
わたしは思う。
核兵器自体が使えば一発でアウトということもあるけれど、
もう戦いの時代ではないことを訴える時機だと思います。
命の値段が釣り合わないのだ。
いかに平和が大切かを訴えるのいいけれども、
そのために正義を争って対立するも変な話だと思う。

それぞれの想いは一緒なのに、各論の格差で対立する。
そういった正義は、わたしはごめんだな。
とくにそのための議論なども必要とは思わない。
それぞれが、自分自身で考えればいいと思う。
まず、そこからだ。

以上