あかんたれブルース

継続はチカラかな

信じたい、愛したい、からこそ



ナショナリズムとかじゃなくてさ、
私達は日本人というものをもう一度考えてみるべきだと思う。

そのヒントに歴史というものは大きなヒントになると
わたしは思うのですが
「いやあ、歴史は苦手でえ」という言葉をよく聞きます。
同時に「馬太郎さんの話は難しくって」ともよくいわれる。

当然、わたしの表現力の問題にあることは重々承知の助なのですが、
やっぱり「歴史」とか、そこに登場する固有名詞の問題もあるようです。
なんにしろ、そう鯱張らないで大筋でなんとなくニュアンスを汲むだけでも
いいんじゃないかな、とも思う。

先日、寅さんからの話がとても面白かった。
彼もまた「歴史は苦手」というクチなんだけれど、なかなかどうして
その話はとても深く興味溢れるものだった。
内容は、日本語と韓国語の共通点についてでした。

ブログなどで「差別反対!」を訴える内容はよくあります。
わたしも大賛成なのですが、ときどきそれが
逆に差別を助長する結果となるものもあって、頭を抱えるときがある。
書き手にそんな意識はないところが、また悩ましい。

そんな所から話は始まりました。

わたしの出身地は鹿児島の陸の孤島で言語体系が薩摩弁と大きく異なります。
どちらかというと天草とか宮崎、伊予、瀬戸内、紀州などの
海の道に近い。当然大陸や半島にも近い。

広東語で「あいやーあいやー」と聞くと、頷ける。
朝鮮国営放送のチョゴリのおばさんが
「すみだーすみだー」と連行するたびに頷いてしまう。
意味はわかたないのですが、なんとなくわかるというか
変な親近感があるのです。

それを地域がらというか地理的環境かと思っていた。
倭寇の末裔の土地柄なのだ。

寅さんの話は日本で「山」を発音するときに
「やま」(浅間山
「さん」(富士山)
「せん」(大山)

という感じで地域によって使い分けられている。
これは大和言葉とハングルの分布と濁りから生まれたものじゃないかと。
ついでに、様々なハングルと日本語の共通点を例にあげてくれた。

わたし自身はさほど言語学には詳しくはないのですが
歴史的に日本人がいわれているほど単一民族ではないと考えるものですから
大きく頷くのであります。

明治中期まで、日本人が大陸や半島の隣人に対して
現在のような差別意識はなかったということを
何度も記事にしてきた。

今回、尖閣諸島問題から中国の反日運動をまのあたりにして
理不尽で苦々しく感じる人は多いと思います。
それは韓国、北朝鮮に対しても同じだと思う。

そのなかで、こんなに連中は恥知らずで、身勝手で、下品で、バカだ
という例えばのケーススタディーが紹介されるけれど、
ちょっと、待て。

そういうのは日本人のなかにもたくさんいるよ。
恥知らずな日本人、身勝手な日本人、下品な日本人、バカな日本人・・・

それぞれのお国柄をコーヒーにハエが入った場合の例えとかで
面白可笑しく紹介する小話もありますよね。

時代背景やら環境やら色々あるけれども、
日本人にも中国人にも韓国人にも朝鮮人にも在日にも被差別部落民にも
色々いるわけで、そういうのを一括りにして咀嚼しようという腹は
消化不良を起こして腹をくだすと思うな。

交渉事というものは、力でおすだけじゃなくて
色々と工夫や気構えが大事じゃないだろうか。
それは日本人に対しても同じだ。

かといって、信じろ、受け容れろ、許せ、こだわるな、愛せ。
をお題目に連呼する啓蒙本やメンタル本にしらじらしを感じます。

言っていることはそうなんだろうけれど、
わたしはそう簡単に愛せないし、信じません。
それにはそれなりのプロセスとかドラマがあって、そうなるわけであって
そういうことを見ず知らずの他人から強要されるの嫌だし、
そういうことは自分でちゃんと確認してからそうするよ。

変な話、信じろといって振り込め詐欺を信じるわけにはいかないじゃない。
それは飛躍というけれど、
実際にそういった理論の飛躍で議論してくる連中も多いのが現実です。
そういうことに一々どうのこうの青筋を立てたりはしませんが、
もっと有意義に楽しくいきたいよね。

もうじきハル議長の『手と声の輪』がスタートします。
http://blogs.yahoo.co.jp/haru_zion_haha
この企画もそういう有意義で楽しいものにしたいです。