あかんたれブルース

継続はチカラかな

爽やかな秋晴れ

さよなら馬太郎さん(アッという間に完結編)


翌日、水曜日。
自由人さんは再び中央線に乗って東京に向かった。
最初は上野のふたつ先の鶯谷で下車した。

この先の谷中霊園に馬太郎さんのお墓があるという。
その場所を昨日の電話で聞いてメモしたのだ。

霊園で清掃の係の人に場所を聞くと
意外のすぐに探し当てることができた。

墓石には「真無阿弥陀仏」と刻まれている。
その横に平成十二年四月一日とあり
馬太郎さんの戒名「一言居士」がある。

狐につままれたような変な気分で合掌した。

その後で、足立区の馬太郎さんのお宅にお伺いし、
仏壇にお線香をあげて合掌した。
慰霊の写真は馬太郎さんのそのママだ。
馬太郎の奥様には昔お世話になった後輩だと嘘をついた。

いまから十年前の日曜日に
上野不忍池の骨董市で溲瓶をゲットした馬太郎さんはそれを
大事に抱えて家路を急いでいたという。
彼の趣味は骨董。世界の珍しい「おまる」や「溲瓶」の収集家だった。
その日、馬太郎さんが手に入れた溲瓶は江戸切り子でつくられた
それはそれは綺麗な溲瓶だったそうな。

ちょうど御徒町の駅前のスクランブル交差点での信号待ちで
足踏みをしていた馬太郎さんの目の前をタヌキが横切った。
たぶん逃げ出したペットかなんかだったようですが、
危ない!
グリーンキャブのタクシーが
その刹那、馬太郎さんはそのタヌキを助けようと飛び出した
その時、持っていた溲瓶を落として、それが自分の右足に填ってしまって
倒れて、反対側からきた佐川急便のトラックに轢かれて死んだそうです。

それはそれはみっともない最期だったとか・・・

葬儀も密葬だったそうです。

えっ?タヌキですか?
さて、どこに逃げてしまたのか・・・
ホントにタヌキだったんでしょうかねえ・・・
いまとなってはもうどうでもいい話ですと
未亡人は気の抜けたような言葉でしめくくった。


馬太郎さんはやっぱり死んじゃったんだ。

慰霊の写真が笑っている。

じゃあ、あの日の馬太郎さんは・・・

自由人さんはこのことは三人会議のメンバーには決して言わないでおこう。
自分だけの秘密にしてしておくと誓った。

今度、また、三人会議を開催したら
馬太郎さんは来てくれるのだろうか。いや、絶対に来る。
そう確信したのです。

そして、自由人さんはあの日の馬太郎さんの言葉を噛みしめた。

「いいかい、三人会議は何人いても三人会議なんだ。
 あなたと私。そしてもう一人。それを意識するんだ。
 それぞれの主義主張意見は異なっていても、同じ目的のためなら
 話してわかりあえるさ。意見が合う同士が違う意見の者同士と
 対立したり揉めたりしても埒はあかないよ。
 それより、もう一人を意識するんだ。
 相対する二人ではなくて、いつでも三人を意識する。
 多数決とかそういうものじゃない。
 勝ち負けじゃない。
 最低限の共同体は二人ではなく、三人として考えてみたい。
 そういう意識が、気持が、大切なんだと思う。思うなあ〜」

お暇するときに馬太郎さんの未亡人さんから
主人のコレクションだとステンドグラスの溲瓶や有田焼のおまるを見せられて
よかったらと、飴細工の溲瓶をお土産に、いや形見にと渡されたが
ベタベタしそうなので丁重にお断りしてお宅を後にした。

十月の秋空が爽やかだ。
しかし風はもう冷たくなっている。
次回の三人会議はきっと来年の桜の咲く季節だ。
そのときは、馬太郎さんはあの青いビニールシートを抱えて
谷中霊園から駆けつけてくれるころだろう。
可愛いタヌキに手を引かれて。
駄賃はアメ横入り口の天津甘栗だそうな。
タヌキは栗の皮を剥きながら楽しいそうに会議を見守っていたそうな。

そんなことを想像すると
自由人さんは嬉しくなって駅前のビデオボックスに入って
オナニーをして帰ったとさ。
すっきりした晴れ晴れとした自由人の顔を
道行く人は不思議に感じて、何人ものがふり返ってしまうのだった。



おしまい。