あかんたれブルース

継続はチカラかな

堕天使の羽



雫が詩っていた。

天に背むくことを厭わない魂の詩を。
こういうの、好きなのだ。
とてもキャバクラ好きのオヤジが宣う詩とは思えない。
純だよね。
色気ってものがある。
いつもバイブレートしちゃって勝手に下の句を入れちゃう馬太郎。
寄り添っていたいんだ。
魂のコラボレートだぞおおおお!

夕日に背を向けていった勇気あるものたちへの福音
そして、天を納得させてやる。
これがわたしの魂胆だ。意地なのかもしれない。

その後にひとりの女性がこんな一節を添えていた。


「ならば私は堕天使から墜ちた一枚の羽」


やられてしまった。
なんて切ない
なんて健気な
言葉がわたしをどこかに連れ去ってしまう。


知り合いの子供さんがリストカットしました。
親としてとてもショックを受けている。
子供のさびしさを気づけなかった自分を責めている。

違う、そうじゃないんだ。
懸命に説得し励まします。その子じゃなくて、まず親に。

「漠然とした不安」

という言葉を引き出して、話しました。
確か芥川龍之介が用いた理由です。
その当時、あの頃の時代環境にそれはあったのでしょう。
現在も、それだ。

なにがというわけじゃない。その不安は漠然としている。
しかし、漠然としているから厄介なんだ。

人間が生きて往くなかで苦悩の壁は必ずあるものです。
それを恥じる風潮がある。重いとか暗いとかダサイとか考えられている。
見ないように考えないようにすることが上手な処世なのだと
どこかのバカの言い出したことが一人歩きして流布されている。

別にさ、その壁に正面衝突して玉砕することもない。
俺達は肉弾じゃない。この世は旅順じゃないんだから。
壁はぶつかるものじゃない。乗り越えるものだ。
一人で生きていくことが人生の厳しさじゃない。
仲間が後押ししてくれるよ。
先輩が親がパートナーが背中を押してくれる。
そうやって生かされていることを知る。それが大事なんだと思う。

だから、その感性を感受性を不要なものだと思わないで。
それを封印してはいけない。

人間はみなさびしいものだと思う。
けれどもそれを誤魔化していけないし、逃げてはいけない。
そんなことを諭す啓蒙本があったら破り捨ててやる。
そんことを言う大人がいたらぶん殴ってやる。

考えすぎないことじゃない。むしろ考えが足りないんだ。
胸張っていこうぜ。

自分の魂に向き合って、誠実に往こうよ。な、雫 そうだろう。


>ボクは天から落ちた
一雫

私達は漂う酸素とか水素みたいなものだ。
酸素が善玉で水素が悪玉なんてない。どっちが優れているかなんてない。
人生は邂逅にあるという。
わたしがたとえば酸素なら君がたとえば水素なら
ふたりは引き寄せられて水になりました。
その水が集まって一滴の雫になる。
それが乾いた大地と魂に恵を与えることだってある。
そういうものでありたいと思います。


「ならば私は堕天使から墜ちた一枚の羽」


わたしはその羽を拾い集めて翼をつくろうと思う。
それを君に届ける。
それがわたしの仕事であるとすれば、
そう思えば
とても嬉しい。