あかんたれブルース

継続はチカラかな

恥知らずの価値観



わたしのブラザー
アレックスが「恥の文化」をテーマにして連載記事をアップしている。
http://blogs.yahoo.co.jp/arakisanda1
昨今の恥知らずな日本人の言動を嘆きつつ
そのなかで、

>こんな形で世の中を批判的に書いているが、
>最近徐々に変わってきている事は感じている。

>とくに若い世代の、
>『このままでいいのか?』 『大人達に任せておいていいのか??』
>という 組織的ではないが、徐々に持ち上がってくるパワーを感じている。
>加えて、嬉しい事に我が同年代にもその気概が見えてきている。


という動物性タンパク質のような言葉に
わたしは拳を握りしめた。

日本人特有の恥の文化
マッカーサーが敗戦日本国に進駐するときに
これをみっちり研究したといわれます。

武士道というものとイコールとしてもいい。
これがいま希薄となっている。
恥ずかしがり屋がいなくなったわけじゃあない。
恥の概念を履き違えているのだ。

屁理屈小理屈ばかりで言い訳して正当化し、拡大解釈させて
恥を隠蔽させている。
それをインテリジェンスだと信じているから始末が悪い。

その常套句が「現実は」という前置きだ。「現実的」とも使われる。
「現実は厳しい」とかに活用されている。

しかし、彼らが言う、彼らが捉える、その現実は
彼らが考える現実であって、私達にの現実ではない。
そして、彼らの現実は非常に狭い捉え方で
現実の一側面をあげつらっているだけでしかない。

結局、それは辻褄があわなくなってきたわけじゃないか。

それで得られる保身、金、名誉、快楽
そんなものいらない。
そんなものでは気持ちよくない嬉しくない楽しくないのだ。

恥の文化。これは日本人の独特の個性です。

恥の文化の「恥」とは、いま世間に蔓延している
そんな安ぽい薄っぺらなものではないと思います。

あと三日ほどすれば、『坂の上の雲』第二部がスタートします。
この物語は原日本人の群像劇でもある。
その当時でも薄っぺらい恥はあったと思う。

しかしだ、わたしが憧れてしまう
秋山好古はそういうことを屁としなかった。
陸軍では際物とされる「騎兵」をもってその職務のなかで
萎縮することなく、胸を張ってその重要を訴え
そしてそれを実行した。

伊藤博文は戦争回避に最後まで固執して自らの政治生命を棒にふった。

誰もが成功の見込みのない仕事を、であればなおの事と
高橋是清は引き受けた。

すべての責任を一身に抱えて島村速雄は表舞台から身を引いた。

児玉源太郎は二階級降格の人事を受けて現場監督となった。

この漢たちは、恥知らずだ!

しかし、それは薄っぺらい恥の尺度から計ったものであり
彼らは真の恥を知る者であると、わたしは思います。
テレビのドラマではありますが、
ひとつの切っ掛けとして、この益荒男たちの恥の文化を観てください。
政治家だろうが軍人だろうが一般人だろうが
日本人にはこういう恥の文化という美徳が備わっています。




ということで
坂の上の雲まるわかり人物烈伝』
http://bookweb.kinokuniya.co.jp/htm/4198930759.html
にそのあたりは詳しく書いてあります。
また、最新刊『坂の上の雲まるわかり人物烈伝・工作員篇』
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