あかんたれブルース

継続はチカラかな

狼たちのこだわり

生死観と性愛観(12)


別に今、たとえば来年の通常国会で「夜這い法」を可決して
それを施行させようなんて思っていません。

愛について考えてみようって話ですよ。

日本人は明治以前まで愛を認識してなかった。としました。
「そんなことはない!」と反発する人は多いでしょう。
それもあって夜這いの件を蒸し返してみたのです。

「そんなの文明開化以前の野蛮な風習よ!」

と思うかもしれません。
でも、野蛮なのかなあと、考えてしまう。
確かに、夜這いは地方農村部のもので、都市部ではない。
日本の近代化とは都市型社会の歴史でもあります。
では、江戸とかの大都市ではどうだったかのか?
八丁堀で夜這い云々の時代小説の場面は読んだことはありませんが
チャキチャキの江戸っ子娘は十代で早々と結婚して即離婚して
二十代で再婚して落ち着く。これが定番だったそうです。

性に対する倫理観、価値観がやはり現代とは違う。

年寄りが「最近の若者は」と苦虫を噛むけれど
どっこい、そのご先祖様は何をアホなことを宣っているのか?
と草場の影で臍で茶を沸かしているかもしれません。

処女崇拝っていうのも幻覚なのかもしれない。

よく時代がかったドラマや人生相談で
夫婦に不和の原因に新婚初夜で妻がバージンでないことに激怒した夫が
それ以降新妻を執拗に苛む。なんてえのがあった。
今でこそ、そんな女性はいないってことになって
二十歳過ぎてバージンじゃあ恥ずかしいなんて風潮がありますが
それもねえ・・・また意味が違う。

こういった処女崇拝っていうのはどこから来たのか・・・
オスカー・ワイルド
「男は最初の男でありたく、女は最後の女でありたい」
なんて小粋な名言を残しましたが
ひとつにこれは男性の独占欲、執着、なのかな。

でもさ、再婚同士のカップルにはそれは存在しない。
不倫だってそうじゃないか。
そう考えると、男の処女崇拝は単なる好事家の「初もの」好きってことになる。
ま、貞操願望なんでしょうが、
そのくせ「昼は淑女、夜は娼婦のように」なっていうのを望みます。
まったく注文の多い駄々っ子ですねえ(汗)

「それは男性社会が女性を私有物化してきたせいよ!」
という人もいるでしょうが、生憎わたしはフェミニズムとは組みしたくないんだ。
わたし自身はフェミニストですけどね。

『人生劇場』の飛車角は石黒彦市という実在のモデルがおります。
彼の愛人おきみという娼婦に惚れました。そして二人は結ばれる。ところが、
逃避行のなかで飛車角が喧嘩で死んだと騙されて再び娼館に戻ってしまう。
それを知った飛車角は騙した男を殺して前橋刑務所に刑に服す。
おきみとじゃこれっきりです。

おきみは処女でもなければ、素人女でもない。
飛車角と恋愛中でも客をとって春を売っていた売春婦です。
ところが、二人が愛を成就させた後、飛車角はそれを許さない。

飛車角は真面目な勤め人ではなく、無政府主義者のやくざ、ですよ。
やくざなんていうのは自分の女をソープで働かせたりするものです。
それでも愛があるんだから不思議ですが、飛車角はそうじゃなかった。
これは個人差なのか、謎だ。

逆にこんな話もある。
住吉会のひと昔の有名な親分の逸話です。
手元に資料がないので正確な組名と氏名ははしょらせてください。
この親分が喧嘩だったか総長賭博だったかでお金が入り用でした。
ところがそれがない。で、姐さん(妻)がもろ肌脱いで
「ひっと風呂浴びて来るよ」ってさっさと上方あたりの遊郭に就職して
その金をこさえたといいます。
この親分はその金で面子を立てて男を立てたといいます。
けれどもその後、この姐さんは帰らなかった。

なんかやくざの話で浮世離れしてるケーススタディーですが
こういった近現代史の与太話には考えるヒントになると思う。

近世と近現代の間で、なにか大きな大転換があったように思います。
明治以降の歴史は日本の近代化の歴史です。
そいったなかで、都市部農村部の対比とは別に、近代化云々の範疇に入らない
やくざという底辺層の人間のなかにこういった葛藤がある。
それは私達にも共通する矛盾でもある。

夜這いについて、野蛮と片づけるは尚早な気がします。