あかんたれブルース

継続はチカラかな

ハゲちゃびんの恩師



先日、知り合いの出版社の忘年会に行って来ました。
ここの代表の柴田の親父とは25歳くらいからの付き合いなので
経ってしまいました。
途中疎遠になった時期もありますが、こうやってわたしが五十を越えて
親父が六十を越えて付き合っていることに感慨をおぼえる。

アクの強い人でした。
押しが強くてね(汗)。
基本的には良い人なのですが、辟易したこともあった(涙)。
それでも、わたしの恩師であることは紛れもない事実だと
しみじと思っています。

今年の夏、久しぶりに五年のブランクをあけて親父を訪ねた。
その前は十年近くあけていたんです。
もう接点をもつこともないと思っていました。

その切っ掛けのひとつを作ってくれたのはJJ. だった。
JJ.と初めて会った今年春の青空会議で「ベーシックインカム」を知ります。
二回目に会ったときに彼からパンフレットをもらった。
定価500円のパンフを彼は買ってきてくれたんだ。
そういう熱意っていうのに弱い。
また、それがわたしのJJ. に対する信頼の理由のひとつでもある。

柴田の親父は若い頃から革新系の政治に関係している人だったので
BIについての意見を聞こうと考えたのです。
あの頃の親父は大手出版社から独立して編プロを立ち上げた時期でした。
女性誌やタレント本といった軟派系が主流かと思いきや
ボランティアや障害者問題も扱う。
まさに藍濁あわせのむ変な人だった。
いまじゃハゲ枯れて穏やかな人相ですが、出会った頃はまだ髪があって
天然なのかパーマかけたのかそれがアフロ状態で
頭部はだいぶ怪しくなっていたのでマックのピエロみたい。
顔は獅子顔ですからね。巻き舌の江戸弁で捲し立ててたなあ。

親父の仕事をわたしが当時勤めていた会社のスタッフは嫌がった。
非常にタイトなのです。無茶苦茶なスケジュールでツッコンでくる。
立ち上げたばかりの会社なもんで社員も新人さんばかりで
手際も悪い。だから余計に大変なのです。
そういう場合には必ずわたしが人身御供というか捨て石となる定めでした。
さらに親父のタチの悪さは一挙に雇った6人の新人の5人を
美人で揃えたことです。
それはそれは壮観なものでした。
関西のラジオ局のミスDJとか後に美人作家として売り出す谷村志穂とか
米国版「プレーボーイ」から飛び出してきたようなセクシーワイルドとか
わたしも数々の美人とは遭遇はしてきましたが、
一挙五人の美人に取り囲まれて
「馬太郎さんこれお願いします」
「いやあん、わたしのから先にやってね」
「ダメ、わたしが最初にお願いしたんだから」
「ねっ、みんなには内緒でわたしの先にやってくださいね」
「ちょっとお、馬太郎さんを独り占めしないでよ!」

なんてことになりまして鼻の下はのびるはハーレム状態で
おかげで完徹三日なんてやってしまって死にかけたことがあります。
いえ、仕事の話ですよ。仕事の(汗)

所謂「美人責め」ってやつです。
こういう人なのです。柴田の親父は。嫌な人でしょ(涙)

ただ、わたしがこの業界に入って初めてほめてくれた人でもある。
「日本一」といってくれた。
親父のことですからお世辞もあったと思います。それでも嬉しかったですね。
かけだしの頃でしたから自信なんてないし、自分が海のものとも山のものとも
わからない時期でのこの一言は大きく背中を押してくれました。
ただ、本人としては「デザイナーとして」といって欲しかったのですが
親父は「レイアウター」として、だったので、まあ割引です。
建築家としではなくて土方として認められたわけだな(涙)

若い頃は、未来は永遠であり多くの人と出会えるような気でいるものです。
永久も半ばを過ぎて、ふと人生の有限を知ると
自分の人生で出合える人にも限りがあり、また出会って来た人
出会う人との縁というものを考えてしまうものです。
通り過ぎていった人たちのことを想い浮かべたりするものです。

柴田の親父と会おうと思ったのにはもうひとつ理由がある。
それは親父絡みでやってきた仕事のことでした。
どういった因果か、わたしは近現代史の執筆をやるようになっていますが、
ちょうど明治からの天皇制や満州国の調査をしていたのです。
そのなかで、
エコロジーとか自然農法とかシュタイナーとかが関係している。
考えてみるとこういったジャンルはみんな親父からの仕事で
ボランティアとか国際問題等もまたそこから。
そういうのがなかったらノンポリファッション誌だけを量産する
デザイナーでしかなかったと思うのです。
で、それが日本の近代化やら満州国の内情とリンクしているから
不思議なものだなあと、思うわけです。後追いの辻褄合わせではなくて、です。
因果というものを考えてしまう。
それはロマンさんの出会いにしても春風さん、JJ. との出会いにしても
いえることで、要はどうしたら幸せな社会にできるかという一点につきる。
そう思うのです。

人間の人生の邂逅。出会いと別れ。
そこには不思議な引き寄せと因果があるものだ。それは人だけではなくて
知識にもいえることだと痛感するときがある。
閃きにしてもそうですが、点在する個別の知識がある瞬間に
瞬時に点と点が線で結ばれて星座を描くことがあります。
何度も重ねた引越でも淘汰されずに手元に置いてあった本が凄いヒントとなったり、
また図書館で出会う本との奇跡は偶然とは思えないことが多々あります。

私達が見つめる未来というものはなにも描かれていない空白ではあるけれど
その過去は紆余曲折ではあるが一本の線で結ばれていますからね。
そう考えれば不思議でもなんでもありませんが
目に見えない何かが引き寄せられてきて未来さえ導いているのではないか
そんな錯覚に陥るときもあったりします。

その忘年会で5人のうちの1人だったセクシーワイルド嬢と再会しました。
なんか金太郎さんのように腫れ上がってましたが(笑)
50歳と思えない綺麗に太った御婦人でした(涙)。デラックスです(汗)
そんな閑談のなかで親父がわたしをネタに語っているのが聞こえた。
相変わらずの怪気炎で勝手にわたしを批評していますが
「日本一」という言葉が聞こえてきた。
それはそれで、なんというか気恥ずかしくもあるのですが
嬉しくもあったりするものです。

本日22日でわたしは今年の仕事納めです。
これがたぶん、わたしのグラフィックデザイナーとして最後の仕事になる。
親父がいった「日本一」とかいうたいそうなものにはなれなかったけれど
その言葉が、どれほど支えになったかわからない。
彼はわたしにとって紛れもない恩師です。
あなたが本当にしんどいときにわたしはそばにいなかった。
不義理な俺を許してください。
それでも親父はいまでも何くれとなくわたしのことに心を配ってくれる。
わたしが上京して出会った数少ない大人だった。優しい人です。
あなたに恥じないように生きるよ。
有り難う御座います。