あかんたれブルース

継続はチカラかな

伊達直人は、いい。

わたしは飽きた。ウンザリなんだ。(2)


ネットとかの論争で、ある問題児の迷惑行為を糾弾したAさんに対して
Bさんがそれを批判する図式が、パターンがある。

最初にAさんが批判したCさんは誰が見ても悪い。
けれども、Bさんは納得しない。

荒しや迷惑行為の常習者であるCさんの悪質行為よりも
それを批判するAさんの姿勢を問題視するほうが重要なようです。
なんか弁護士のような、聖職者のような、民主主義の北町奉行のような
感じで、その独善の非を訴えるのです。

「あなたは悪い子を悪いって叱るのですか!」

そりゃねえ、Aさんの表現とか必ずしも完璧だったとは
言えないかもしれないけれど、
悪い事を悪いって指摘することがそんなに悪いことなのかと首を傾げてしまう。
嫌になるのは、
そういうCさんがマザーテレサみたいに見える錯覚がある。
わたしは首を傾げるだけで、そうは思わないけれど、
Cさんに同調する人がこれまた多いので、嫌になってしまいます。

そういうの狂言じみた論争が多いので、わたしは論争とか討論が嫌です。
そういうのは相手を選ぶ権利もあると思うのですが、
なんか言うとゾロゾロ出てくる。ゴキブリみたいに。
そういうと今度は上から目線だと批判してくる。
そうなるから黙っていようと考えます。

悪いことは悪い。これは昔の会津藩の教育のスローガンでした。
これが歴史で語られるときはだいたいみんな賛成なのに、
現実で指摘すると、懐疑され、不安視され、批判されてしまう。
おかしな傾向、風潮だと思う。

弱者救済のようで、結局は声の大きな者、粘着質な暇人が
主導権を握っているようです。

独善・・・独善正義・・・

善悪とはなにか?

スピノザは、
善悪はないと。として、
存在するのは「いい」「わるい」だけである
としました。

これはとてもシンプルな考えで
「いい」とは私達の行動をそれによって活性化させてくれる。
「わるい」はそれによって行動が制限、萎縮、停止するものです。

当然、その状況によってそれは変わります。
たとえば、カルビは動物性タンパク質なので体に「よい」。
だけど食べ過ぎると体に「わるい」。

他人に迷惑をかけているCさんは「わるい」。
それを批判して阻止しようとしたAさんの行動は「いい」。
そのAさんの行動を批判するBさんの行動は「わるい」。
となる。
色々ツッコミいれたくなる人もいるでしょうが、取り敢えず
モノの考え方、筋論としてです。
色々なことをそこに付随させないで、まずはシンプルにいきましょうよ。

で、


最初の伊達直人の行動は「いい」。