あかんたれブルース

継続はチカラかな

むっしゅの陰謀

わたしは飽きた。ウンザリなんだ。(3)


今日は一人でお留守番です。
羽を伸ばして
そんな静かな週末のひととき・・・

むっしゅが油をさしていきおった。案の定、燃えた。
目論見通りに翻弄されて、ちと悔しいが、
忘れないうちに書いておこうと思う。

指定された記事をここで挙げるとなんだかんだ煩いので
さっきの記事のむっしゅのコメントにその問題記事のアドレスがあるから
興味のある方はどうぞ。

「> かえって養護施設の子等が妬まれてしまうー」

という内容の記事でした。
ま、こういうのを拡大解釈とか理論の飛躍とか被害者妄想とかいうのだと思う。

今回の連作でわたしがいいたいのはこういった稚拙な発想への批判です。

むっしゅが提示してくれたこの問題記事の主旨のひとつに、
最初のタイガーマスクは良いとしても、
その後の真似っこタイガーは良くないとしている。なぜ?よくないのか。
「善人ごっこ」がよくない、という。

>ただ、「いい事だから、自分も参加しよう」それだけです。

いいじゃないか。そのなにが問題だというのだろう?
そうやって、「ごっこ」から学んでいくのではないのかな。
その何を心配するのかわたしには理解できない。
学ぶというものは模倣から身につけていくってことでもある。
結局、この方は
それをマスコミや政治のせいにしているけれど、
そんなこといってもはじまらないと思う。そういうのはそういうので
また別でやればいいことで、まったく次元の違う話である。

それでも、この方は、
そういうことをしても施設の子は別に嬉しくないない、という。
君は神か? 霊媒師か? なぜそれがわかる!
なぜそんなことを言えるのだ。

そこでこの方は行政システムやら税金の話を持ち出しているが、
わたしはまったくさっぱり理解できない。
施設に入っていない子供達との比較も訳がわからない。

それでもこの方は、そうだと言う。なぜそう言い切れるのか。
「>これは、私が施設出身(過去の人)だから書けるんです。」
要は、この方は施設出身であるところでその主張の裏付けにしているわけか。

しかしさ、それはおかしな物言いだ。たとえば、
わたしが九州出身だから、九州男児を語れるとするかというと、恥ずかしい。
鹿児島出身だからといって、薩摩隼人代表みたいには言えないじゃない。
鹿児島県人にだって酒の飲めない人は沢山いるし、
ねちっこくて嫌な性格の人は沢山いる。

そこの出身だからといって、権利資格とはならない、と思う。
だから、施設出身だといってもこの方が代表者じゃないし、
この方とはまったく違う考えの人が沢山いることは想像できるわけだ。
想像ではなく、いるだろう。賭けてもいい。

フェアにみて、まずこの方の書いた文章で判断すれば、バカなんだと思う。
ええ、非道いって?
しょうがないよ、文章というのは恥をさらすわけで、
そこには責任を伴うものなのだ。
ここまではっきり書いたのだから、批判されても仕方ないと思うよ。
それを「施設出身者だから」というのはなんの免罪符にもならない。
と、思う。むしろその手口は卑怯だと思う。

これは、鬱の記事を鬱でないものが書いたときの批判にも似ている。
「あなたにわたしの気持がわかりますか!」
と、いわれても、わたしはあなたに向かって直接書いたわけじゃないし、
急にそういわれても・・・ところでどちら様ですか?
はっきりいって、わたしはあなたのことを知らないしわかりません。
「じゃあ書かないでください。無責任です」

「なぜ、あなたにそういう権限があるのか?
 じゃあ、わたしが鬱になったら書いてもいいのか!」

とまあこんな感じなのですけどね。
賢い人はそんな記事書かないし、黙っています。スル〜

わたしは黙らない。
こういう風潮が変だと思う。絶対におかしい。
「色々な意見があっていい」という。いいでしょうよ。
で、そっからどうすんの?

政治やマスコミのせいにしても埒はあかないぞ。
だいたい、オチはそこじゃないか。
わたしは飽きた。ウンザリなんだ。

最後に、この方は
>『有り難う』言わなくちゃいけない

としているが、「有り難う」と言うことが、そんなに損なのか?
いいじゃないか、有り難うって言えば、先生が喜んでいるだけでも
嬉しくならないかね。いろいろ苦労してると思うよ。

「違う違うそういうことじゃない」

バカ者。 そういうことじゃ!