メディアと民主主義(16)細川隆元(3)
細川隆元。
関東大震災の年に朝日新聞社初の入社試験に合格した若手の敏腕記者である。
後にテレビ『時事放談』なので毒舌政治評論家として
人気を博すあの細川隆元は朝日新聞の若手記者として、
東京日日新聞(現・毎日)の保利茂(後の自民党幹事長)と
スクープを競い合っていた。
貴族院の異様な興奮を察知した細川は
親しい民政党議員・山崎亀吉に電話取材をする。
その話の途中、電話の相手が山崎の家の女中に替わり数字を朗読しだした。
「○○銀行××××・・・○○銀行××××・・・」
最初はなんのことかわからなかったが、それをメモしていっていくと、
なんと特殊・普通両銀行別の震災保有額一覧表ではないか。
翌日、このスクープが朝日新聞に掲載され、
全国に各銀行の内情が暴露された。
これによって取り付け騒ぎが起きて昭和金融恐慌を決定的にする。
そして、第一次若槻内閣は総辞職に追い込まれるのである。
もっと言えば、これによって軍部が台頭したといっても過言ではない。
政党政治はその政争に明け暮れ、党利党略に奔走していた。
細川のスクープもその道具ですかなかったのだ。
そういう脆弱な政党政治をあざ笑うように軍部は政党を、そして
報道機関を統制していくのである。
そのことを細川は自伝でふり返ってはいるが、
さしたる反省の言葉は記されていなかった。
新聞記者、新聞社にとっての「スクープ」の神話は根強い。
知る権利、報道の自由という名のもとに掲げられるその大義が、
はたして国民の利益になっているのか
大いに疑問とされるべきである。