あかんたれブルース

継続はチカラかな

ネット言論の第二段階


なんか変だ。
なぜ変かを書くとそれで記事が終わるので、とにかく
変だということにして、話をすすめます。

どこかで本音と建て前の「本音」というのをカン違いしてるんじゃないか。
と前々から思っているのですが、ここにきてそれを痛感します。

本音と建て前の使い分けは私達日本人の特性です。
建て前社会のなかで、私達はどうやって本音のガス抜きをするかが
工夫のしどころでもあるわけだ。

井戸端会議やら飲み屋でとか喫茶店やら電話とか色々。
ネットの普及からブログなんかもそうだよね。

そんななかでネットとかで辛辣な意見をよく見かけます。
「よく言うねえ」なんて思ったりもする。
匿名だから言えるんだろうか、とも考えたりもする。
でも半分以上はマジなのかしら?

どんなこと?

いやあ、ここでは到底書けない。といって卑猥な表現とかじゃないよ。
なんというか揶揄の仕方が陰険というか揚げ足取りが露骨というか
なんというか品がない。質が悪い。それもパターン化してる。

こう書くんじゃないかと思うと、判で押したようにそう指摘してくる。
書いてて嫌になってこないかのなあ・・・
といらぬ心配をしたりする。

それにしてもなんか変だなあ・・・

もしかして、そういうのを本音だと信じ込んでいるんじゃないだろうか?

そういう「品がない質が悪い」のなかにあたかも真実があるような錯覚とか。
ウ○コ、チ○コ、マ○コと言えないから、それを言うことに意義あるとする
小学生のような自由の革命のような・・・

それ以前に、自分の本音がわかっていないんじゃないか?
何が自分の本音なのか見いだせない。
なもんで、なにかあると思いつくママに批判できるネタを見つけては
ウ○コ、チ○コ、マ○コと言ってみる。(なんじゃそれは?)

ネットの普及が一通り裾のまで行き渡って
これから質を問われるようになると思う。
言論の自由とか、そんな陰嚢ではすませれない。
色々な意見はあっても当然いいのだけれど、劣悪なものは自然淘汰される
べきだと思う。わたしがやるんじゃないよ。自然にです。

プロセスなんだろうな。
第一段階から第二段階への

これはまた、拡散していったネットの御近所付き合いが
集約されて核をつくるような感じでしょうか。
コミュニティーという言葉をつかえばいいのかな。
既成のものとの差別化を図りたいところですけどね。

なんにせよ、情報は溢れかえっている。
そんななかで自分自身を保つには良質な「場」の存在だと思います。
たかがブログとはいうけれど、
マスコミがこんな調子ですから、ある意味で私達が選択しえる
身近な「社会の窓」のようでもあります。

そんななかで、わたしにとってこのブログや
手と声の輪や三人会議は、社会の窓であり、良質な場であることは
間違いない。


なんか本日は真面目にまとめてみました。(陰嚢じゃないだろ印籠だろ!