あかんたれブルース

継続はチカラかな

体温差



先週テレビのテロップ
全国都道府県の被災地避難民受け入れの
人数が流れていました。
驚いたのは九州、鹿児島、沖縄まであったこと。
でもそれじゃあ到底足りないだろうから
今後も受け入れ態勢を強化していくのだと思います。

昨日のニュース(アンケート調査)
被害にあった方々の多くが、県外他所に行きたくないそうです。
生まれ育ったこの地から離れたくないと
懇願する老婆も紹介されていた。

気持は理解できるが、なんというか複雑です。

老婆はさらに続ける
もう長くはないのだからこのままここにいさせてほしい、と。

しかし誰かが世話しなきゃならないわけだ。
困ったねえ・・・原発放射能さえなかったら・・・
どうしたものでしょうか。
「そんな場所に仮設住宅を建てるな!」という批判もある。

姥捨て山みたいにはできないわけじゃない。

生き残ってしまって心苦しいと零す老人たち
仮設住宅を引き当てて申し訳ないと頭をさげる婆ちゃん

命に格差はないのだ。

決して建て前じゃなくて、情として。

りんちゃんの記事に
http://blogs.yahoo.co.jp/yyy_rrr_mmm1_5/28323192.html
海外に避難する友人の話があった。

りんちゃん以上にピンとこないわたしがいる。

矛盾というか、受け取り方の個人差があります。
体温差でしょうか。

海外とまではいかなくとも、逃げようと思えば
鹿児島の南端が実家なので放射能が水がという心配はない。
地震もない土地です。火山の影響もありません。
家族で行ったら母親がよろこぶことでしょう。
今回の件がなくても実際に二年ほど先にはわたしだけでも
帰るつもりでいた。
だけど、いまはまったく考えない。

危機意識が足りないのだろうか?

「馬太郎さんと違ってKちゃんには将来があるんですよ」
とお叱りを受けそうですが、なんか違うような気がします。

震災直後の津波の映像で、私達の津波のイメージは一変しました。
その後に、よく言われた「デマ・流言に気をつけよう」も
なにがデマで、何が流言なのかがわからないでいる。

冷静という言葉をなぞっている。
危機意識が足りないのでしょうか?

SFパニック映画の古典『渚にて』を思いだしながら
あきらめと人間の尊厳、理性ということを考える。

わたしは決してペシミスト(厭世主義・悲観論者)ではない。

非常時におけるパニック。
このパニックも津波同様に静かに近づいて来るものかもしれません。
もしかしたら私達は既にパニックに陥っているのかもしれない。
被災地から離れるほどに体温差があり、受け取り方にも個人差がある。

なにかと書きづらい
表現が難しい環境ですが、
綺麗事が通用しない良い機会として
ブログアップしていきます。