あかんたれブルース

継続はチカラかな

とても小さな、個人的な内なる革命

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いまからだいたい二年半前ですかね
ひょんなことから、といっても何だったか忘れてしまいましたが
ルイちゃんのブログと遭遇した。

テイヘンを行く。
ついつい引き込まれて、最初から記事を読み返して
三日ほどで全部読み終えましたかね。
なんというか・・・
そういった環境にあっても健気に前向きであろうとする
彼女の姿勢に感動した。
といってわたしは色男なので金と力はありません。
非力なのだ。

応援はしたいのだけれども、分別盛りの中年親爺
どこまで踏み込んで何ができるものなのかと考え込んでしまった。
だいたいそういうときは腰が引けて
器用にバランスを保つのが良識ってものだと相場は決まっている。
そういうこともわかっています。

そんな彼女には夢があるという。
それはいつか海外ボランティアに行くこと。
そこで過酷な環境で無力に、ひとりで死んでいく子供たちを
抱きしめてあげたいのだといいます。
誰にも看取られず、不安を抱えたままで死んでいく子供たちを
ハグして、大丈夫だよって

橋や道路を造ったり、学校や井戸を作ったり、植林したり・・・
色々なボランティアがありますが
抱きしめるっていうのは聞いたことがなかった。
たよりないっていえばそれまでです。
でもさ、それはある意味で哀しみを共有するってことでもあって
考えようによってはきつい作業でもある。

自分にできるだろうか?
そんなことを考えたものです。

案の定、物知りさんの訪問者が彼女のボランティア観をなじる。
そりゃそうなんだろうけれど、腹が立ちましてね。
じゃあ、俺達はいつになったらやれる資格ができるんだよ!
それを完備させるまで、いつまで準備しなくちゃいないんだ。
そういうのはやりたい者がやれるときにやればいい。
すべてが完璧でなくても
それぞれが役割分担してフォローしていけばいいじゃないか。


私達はとても非力なものです。
非力ではあるけれど、無力じゃない。ゼロじゃない。微力なだけだ。
これ、JJ. が好きな言葉だっていってくれた。

そういうわけでルイちゃんを応援することになったのです。
といっても何ができるものなのか・・・具体的な行動として・・・考えた。
知ってる人は御存知かもしれませんがここでは言えないようなこととか(汗)
そんなこんなで二年半、応援してきた。
そのひとつのカタチが『テイヘンを行く。』の電子書籍化です。

「自分のことも満足にできない者が他人のことなど」
って思う人もいるかもしれません。
でもね、そういう自分のことを放っておいて心を配るっていうのは
人間が持つ美徳であり、健全な性質なのだとわたしは思う。
ルイちゃんにはそれがある。
おバカですが、わたしの魂なんかよりは数段上だ。
いや、比較とかではなくて。

底辺に在るであろうルイちゃんがなぜそう考えたのか?
もしよろしければ彼女の『テイヘンを行く。』を読んでやってください。

東日本大震災で多くの人が被災し傷つきました。
復興というけれど、それはゼロからではなくマイナスからの出発です。
そこは底辺というよりもどん底なのかもしれない。
多くの人が応援支援している。
絆という言葉も叫ばれています。
そういうなかで、わたしたちが求める復興とはなにかを考えてしまう。
それ以前から年間自殺者三万人超え
が十年以上続いて
イジメ

や虐待、モラルハザードは蔓延し、閉塞感に打ちひしがれて
空洞化しているこの国。
できれば、それは再構築としての指針であってほしいと願います。


  間違いだらけの選択の果てに
  たどり着いたのはテイヘンという奈落の底だった
  夫の暴力、借金、子供の病気・・・
  頼れる人は誰もいない。
  そんな彼女を支えるのは失った家族の愛の再構築だった。
  幸せを求めるが故に少し急ぎすぎた選択は、
  容赦なく彼女に多くの試練をあたえる。
  負けるな母ちゃん!
  四人の子供を抱えるシングルマザーの奮闘記。

「テイヘン」を行く。
http://www.digbook.jp/product_info.php/products_id/13809
http://www.dlmarket.jp/product_info.php/page/1/products_id/125930
フォトはMagikoさん