あかんたれブルース

継続はチカラかな

ペットと人間の命の比較?



被災地支援でのペット保護についの批判が物議を醸している。

孫正義氏の呼び掛けに応えた佐賀県武雄市のアクションに対して
経済学者で人気ブロガーの池田信夫氏(つまり、影響力のある発言者)
が噛みついた。

詳しくはgolden ratio さんの記事がわかりやすいです。
http://blogs.yahoo.co.jp/an_approximation/archive/2011/04/07?m=lc

反響は、賛否にわかれていますが、
池田氏当人は反発の大きさに戸惑っているとか。

ということは、この学者は自分の発言のその先を
あまり考えていなかったことを認めていることにもなる。
現論者の強者に位置する者として迂闊以外のなものでもない。

同氏が「優先順位」という、馬太郎がよく使う言葉を用いているようなので
わたしの意見を述べます。

確かに、遅々として進まない救援・捜索活動に苛立つ国民は多いと思う。
しかし、だからといってペットと人間の命の価値に「優先順位」を
つけて考える論法は「ここ」では的はずれだ。
そればかりか、問題の論点を拡散させてあらぬ方に向かわせてしまう。

原則論からすれば、ペットよりも人間が重要である。
問題は時間軸が考慮されていないことだ。タイミングというやつです。

支援したくてもどうにもできないことにヤキモキしている国民は多い。
そのために政府や東電などへの批判をぶつける気持ちもわかります。
支援物資が大量にあるのに、供給がうまくいっていない。
指揮系統が混乱しているのですね。
震災当初、現地が混乱するので個人的なボランティアは自粛を呼びかけられていた。

こういった供給や流通を軍事的な観点から「兵站」といいます。
地味ですが、軍事では非常に重要なのです。
非常時、有事なので、あえて軍事の話で喩えます。別に右翼じゃな!
日本は島国なのでそういうことに疎く、日清戦争前に開校した陸軍大学で
ドイツから招聘したメッケルによってはじめて聞いたようなものでした。
(それを完璧マスターしたのが校長先生の児玉源太郎だ)

また、軍事での戦術で考えれば(戦略じゃないよ)
少数の兵で多数の敵と戦う場合は決戦場が狭い地形が有利です。
関羽が一人で数万の敵と対峙できたのは、そんなこんなの話でしたよね。
張飛だったかな?

つまり、人海戦術といっても条件や環境が揃わないとうまく稼働しない。
救援活動に全力をつくしたくても効率よく稼働していないのが
いまの現状ではありませんか。

それでみんなイライラヤキモキしているんだろうと思う、けどね。
だからといってここでペットと人間の優先順位を持ち出して
それを批判の材料にしちゃあいけないのだ池田先生。
そんなこたあ、誰だって分かっている。
でもさ、出来ること出来ないことがあって、
そのなかで出来ることだったら平行してやればいいんじゃないだろうか。
そういう活動をやったからといって本題の邪魔になるのか?

被災して一週間ぐらいの話だったわかる。
しかし、すでに1カ月近く経った現在で、
生き残ったペットはどういう状況にあるのか?
シビアな言い方をすれば、避難所や被災地での足手まといとも考えられる。
と同時に、飼い主には家族同然。ある意味被災者にとっては
同じ身を寄せる同じ境遇のものじゃないか。
人間と動物の命を秤にかけて薬処分でもしろとまでは言わないのだろうが
言ってることはそれ近い。じゃなかったら野垂れ死にしても致し方ないだ。
もっとシビアにいえば、時間的に考えて遺体捜索は早急を求められるだろうが
生きているものと死んでしまったものとの優先順位はどうなのだろう。
また、生きているものにとっての希望や尊厳はどうやって守られるのか。

そういった場の悪い原則論を持ち出し、
したり顔で是非を問う思考法を学者の机上の論理として恥ずべきだ。

色々な意見があってもいいと、思う。
池田氏の意見に賛同される方があてもかまわない。
けれども、もし、そこに優先順位を持ち出し、
効果効率性を指摘するのであれば、その発想は間違っている。
そして本質を混乱させている。

この場合で「二兎追うものは一兎をも得ず」はあたらない。
やれる者がやれることをやる。平行してやらんかい!
優先順位とは同時にタイミング(場)も付加させないと駄目だ。

ということで、わたしは孫正義氏の姿勢に大いに賛同します。
くれぐれも、孫さんの姿勢を売名偽善などと捉えないでほしい。
色々な考え方はあってもいいけれど、
頭の悪さとセンスのなさを露見させて恥をかく覚悟があるなら
勝手にどうぞ御自由に。

これは心情論とかじゃない。
理詰めの話だ。