あかんたれブルース

継続はチカラかな

官僚たちの夏から断層

01 山本高行 商工省総務局長 1949年-1952年 富士製鐵副社長
02 玉置敬三 通商機械局長 1952年-1953年 東芝社長・会長 、石川島播磨重工業取締役、日本原子力事業社長
03 平井富三郎 経済審議庁次長 1953年-1955年 八幡製鐵社長
04 石原武経済企画庁次長 1955年-1957年 東京電力副社長、電事連理事長
05 上野幸七 経済企画庁次長 1957年-1960年 関西電力副社長
06 徳永久次 経済企画庁事務次官 1960年-1961年 石油公団総裁、新日本製鐵副社長 、新南海・華南石油開発社長
07 松尾金蔵 企業局長 1961年-1963年 日本鋼管副社長・会長
08 今井善衛 特許庁長官 1963年-1964年 日本石油化学社長
09 佐橋滋 特許庁長官 1964年-1966年 余暇開発センター理事長

昨日の通産(経産)次官(天下り)リストからいうと
04石原武夫の東電天下りがそもそもの電力会社への「指定席」利権の始まりです。
実際は02玉置敬三や06徳永久次も後々色々と登場して来るのですが・・・

通産省が大きく変わった。その断層を探るとすれば、
08 今井善衛 特許庁長官 1963年-1964年 日本石油化学社長
09 佐橋滋 特許庁長官 1964年-1966年 余暇開発センター理事長
でしょう。
みなさんは一昨年のTBS(東芝)日曜劇場の『官僚たちの夏
を観てました? 憶えている? 
あの作品は城山三郎の同名小説が原作で
主人公(ドラマでは佐藤浩市)のモデルが佐橋滋。
そのライバル(船越英一郎)が今井善衛です。

二人には互いを認めあう友情があったけれど、
絶対引けない日米貿易摩擦で対立してましたね。
国内産業の保護か、自由競争規制緩和か・・・
これは今でもまだ燻る日米間の問題ですが、
戦後15年で日本は大きな岐路に立たされた。
結局、佐橋は敗れて通産省を追放される。
勝ち組の今井善衛についていた
13の両角良彦(ドラマでは杉本哲太)14の山下英明(ドラマでは高橋克典)が
今井路線の米国協調(いいなり)路線を踏襲していくことになります。

あの作品には沖縄返還も絡んでいました。
日本の戦後を東京裁判GHQの政策から日米同盟(安保)の庇護をベースに
考えれば、敵役にあたる今井善衛たちの選択は妥当だったのかもしれません。
しかし、その反面、佐橋滋の日本国の自主独立性は今だって充分支持されている。

この記事を書くにあたって、ドラマ『官僚たちの夏』の批評記事を目にしました。
紋切り型で「美化しすぎ」とありましたが、そうかなあ・・・
よく出来ていましたよ。確かに佐橋と今井の友情はすこし臭みはあったけど
よく出来ていた。そこはやっぱり城山三郎の原作の力が大きい。
面白かったのは「被災地ペット救出に苦言」を呈しておられた
切り捨て大経済学者の池田信夫大先生様様も例によって苦言を呈しておられた(笑)。
面白い人です。

疑う知性の重要性からでしょうが、
取り敢えず批判しておけば鋭いと思われる御時世が続いているようです。
まあ、観る側の視点と足場もあるとは思いすけどね。
司馬遼太郎だって批判されるのですから、日本が平和だって証だったのでしょう。

しかし、安全神話は崩壊した。ボケてる場合じゃあない。

地下鉄サリン事件から阪神淡路大震災そして、東日本大震災原発事故。

日本の原発推進には政・財・官に学界やマスコミがどっぷり絡んでいます。
それをひとことでいえば「利権」であって、国民自体も無縁ではない。
そして、もうひとつアメリカの意向。国策ですね。
それを拒めない日本は、それに沿うカタチで国策とした。
そういう流れだったんでしょう。原発も。
その流れに沿わない佐橋滋ははじき出されたわけです。

「国家の経済政策は政財界の思惑や利害に左右されてはならない」
性格的には色々と問題が指摘されていますが、この頃は気骨のある日本人がいた。
官僚たちの夏は熱かったわけだ。

わたしは日本人の大変化の断層を1970年としていますが、
霞ヶ関ではそれより少しはやく1966年だったのですね。
それはミスター・通産省といわれた男が姿を消す日だったのだ。

「自分たちは国家に雇われているのであって大臣に雇われているわけではない」
これが佐橋の口癖だったそうです。
そして、
彼らは利権に雇われていったのだ。



続く