あかんたれブルース

継続はチカラかな

「引き継がれなかった栄光」と「司馬から宮城谷へ託されたもの」

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 「鄭和(ていわ)」の航海は朝貢自由貿易が目的であり、
 その後のヨーロッパ人が行った 迫害や略奪、植民地政策とは一線を画すものでした。
 これは中華思想漢民族が考える覇者の在り方がでしょう。残念なことですが、
 現在の覇者アメリカにそれはなく、いまの中華人民共和国にもありません。
 鄭和の物語は唐突に終わりました。朝貢外交は相当の費用がかかったんですね。
 現状維持で満足する官僚たちはそれを続行させることを必要としませんでした。
 もし、鄭和の志と事業が受け継がれていれば世界史は大きく変わったはずです。

 日露戦争時の総司令部参謀長児玉源太郎の懐刀と謂われた福島安正という情報担当参謀がいます。
 情報参謀というと切れ者といえば冷たい感じをうけますが、必ずしもそうでないのが彼の魅力です。
 その裏付けとして、福島がユーラシア大陸単騎横断という快挙を達成させたことが
 あげられるでしょう。もちろん、彼の人としての在り方こそ最大の要因です。
 サンクトペテルブルグからモスクワを経由して遙かウラジオストックまでの(諜報の)旅は
 過酷を極めます。パンとミルクだけの食事やノミ、シラミ、南京虫に悩まされ、
 落馬事故で重傷を負った時もありました。そして、旅費が底をつくという事態まで。
 福島は自費でこの冒険旅行を敢行していたのですね。

 児玉源太郎が死去すると後継者として福島が参謀総長の任につきますが、
 児玉の意志であり福島が目指した情報戦略はかなわず、軍部は暴走していきます。
 福島は長野・松本出身で藩閥とは無縁の者でした。
 よき理解者であった薩摩の川上操六や長州の児玉源太郎が死去してしまうと
 彼の力ではどうにもできなかったのです。
 陸軍大将という最高位の拝命は同時に予備役編入という引退を意味するものでした。
 そして、日本は再び無謀な戦いを選択してしまうのです。

 「継続は力なり」と申します。
 どんなに素晴らしい行動でもそれを継続させることが大切であり、また後継者も必要です。

 宮城谷が純文学に挫折した理由のひとつは、その文章に「漢字」が多いとの指摘です。
 私たちも書き込みなどするときに簡単に変換できるのでついつい多様してしまいますよね。
 あとで読み返すと書いた本人が読めなかったなんてことがありますが、(ないか?)
 彼の場合はむろんそんな浅はかなものではありません。ワープロもあったかどうだか疑問。
 宮城谷はその欠点だとされる漢字を仮名に直す簡単な方法を選ばず、
 欠点である「漢字」の本質に立ち向かっていくのでした。
 それも甲骨文字とか亀甲文字とかの中国四千年の原点ですから大変なんてものじゃない。
 杉田玄白が辞典もなしに「解体新書」を翻訳したというのに似ているかもしれません。
 歴史小説宮城谷昌光は下手をすれば大いなる徒労と成りかねない暴挙からスタートします。

 『史記』とか『春秋左氏伝』なんていうのをググッと一点、一文字を凝視して
 脂汗を考察するわけですから凡人の想像を絶する荒行です。
 『重耳』の続編『介子推』なんて書けなくて泣いたそうですからね。月見て。
 『日露戦争』の児島襄みたいに資料○写しなんてわけにはいかない。

 そんな宮城谷に司馬が「あなたは、よく勉強している」という言葉こそは、
 歴史考察「搾り出す」作業への賞賛だったのではないでしょうか。
 司馬だからこそ、それがわかり。宮城谷はその一言に感動と喜びを得たのです。
 宮城谷昌光の作品には至るところに、それが反映されています。
 司馬遼太郎は死の直前に後継者に託した。というのは大げさですかね。