あかんたれブルース

継続はチカラかな

りんちゃんのモヤモヤ


知人が毎週被災地にボランティアに行っている。

支援物資の配給や、津波の被害の後片付けを、一軒一軒周りながらやるんだそうで。

各地から集まるいろんなボランティアの方たちと協力し合いながら、
一致団結して活動するのは本当に感謝なことだと話してくれました。

そして。
津波で流された地区の、家が流されてしまった家の方と、
家が流されなかった方とで
ご近所なのに、まったく被害が異なるがために
双方、辛い思いをしている。と言う話をしてくれました。

流された人は避難所で生活していて、
流されなかった人は自宅で生活している。

物資がないのはどちらも同じだけれど、
自宅にいる人は、家が流された人の目線が辛くて、避難所に物資を取りにいけない。


だから、ボランティアが、物資を一軒一軒周って届けてるんだと、話してくれました。
.............

うちが、全部流されたのに、お隣さんは、全部残ってる。
うちの家族がみんな流されたのに、お隣さんは全員無事。

そういう時、
やっぱり、見るのは辛いよな。。。。


下の子がICUに入ってるときの事を、思い出しました。

病室全員、命が危なかったときの、あの連帯した支えあう気持ち。
だったのに。
誰かだけが、危機を脱して退院に向かって回復していくのを目の当たりにしたときの、
みんなの視線。



みんな、回復は嬉しいよ。
だけど。
だけどね。。


むずかしい。。。


人間、みんな人生に同じ数だけ物がもらえるわけじゃない。
同じ金額、もらえるわけじゃない。
同じ数だけ叱られるわけでも、同じ数だけほめられるわけでもない。。


わかってるんだけどね。。辛い気持ちになるよね。


・・・・・・・・・・・
それぞれに、必要なものが、必要なだけ、与えられると信じて、
自分に出来ること。がんばろう。

・・・・・・・・・・・

(↑)これはりんちゃんの「不公平」って記事です。
http://blogs.yahoo.co.jp/yyy_rrr_mmm1_5/28633587.html#28633587
りんちゃんは「むずかしい」として
>わかってるんだけどね。。辛い気持ちになるよね。

と筆をおいていますが、
わたしとしてはこんなふう考えてるりんちゃんに救われる思いです。
そういうことを考えない考えたくない人も多いでしょうが、
そういう難しさを力業で決着をつけようとする人も多いものです。
割り切る、という表現がいいのかな?

今回の震災復興、被災者の支援・援助・・・

ちょっと想像力を働かせればそういったことは解っていたはずだ。
それを踏まえて、
増税でなんとかしようとか、電気料値上げでどうのこうのという事に
わたしは猛烈に反対を主張してきた。
それは、政策論としてそれにリスクがあるってこともあるのです。が、
それ以上に、
不公平を生んでしまうからだった。
はっきりいえば、妬みや嫉み憎しみというものです。

それは前にも一度書きましたが
りんちゃんの記事がとてもよくできていたので借りることにしました。

保障、倍賞でいうならば
一人あたり、二、三百給付されたとてもとても足りない。
かといって、一人あたま、二千万、三千万、とか金額を上げても
それで解決できるとは思わない。現実的な問題としてそれは不可能ですしね。
厄介なのが「被災者同士で」また「被災者対非被災者」の間での
不公平感が生まれることだ。

めぐりのいい人は、いや多くの人がそれには気づいていたはずです。
しかし、これまではそれを言いづらい環境にあったと思う。

100人いれば100通りの正義正論が存在する。
でもね、思ったことを思ったままいうのが言論の自由ではない。
そこに自由主義とかの尊厳なんてものを持ち出すと訳解らなくなってしまう。
そこには役割分担とか優先順位とか、色々あると思います。

そう一朝一夕に復興できない。
不景気続きで節約ムードが続きましたが、それでも節約疲れしてしまった。
それが震災前の世相だったわけじゃないですか。
がんばろうといっても、この気持ちにだって疲れや飽きはくるものです。
そのタイミングにこういった不公平意識が重なると
厭世というか、メンタル的な恐慌に発展しそうで怖いです。

そんなことはない!

といってお叱りを受けるかもしれないけれど、
そういう精神論じゃなくて、メカニズムというか原理の話としてです。
ただでさえ、情報が錯綜していて、
浜岡原発を停止することでさえも色々な意見が衝突したわけじゃないですか。
それをみんなが納得するという前提で構築させるのが民主主義の基本だとすれば、
それは非常に危うい発想だと思う。

どこかで「リーダーシップ」を求める声がある。のも事実です。
しかし、ちょっと話が横にそれればとんでもないことになりそう。
批判して潰してのその代わりになる受け皿がないのが事実なのだ。

そんなわけで
この件をシリーズにしてみたいと思います。