あかんたれブルース

継続はチカラかな

震災復興の地雷

りんちゃんのモヤモヤ(2)

ということで、いくらあっても足りることはない。
というか満足はない、ということは不満が生まれる。
それに、いくらでも与えることなど出来ない。

そこの発想を変えてみるべきだと思うのです。


もし、仮にですよ、日本が北欧やデンマーク、オランダのような
社会保障制度が発達した国だったら、こういう問題は起きないと思う。

資本主義経個人主義が不公平と不満を生むと思わない?

ここで比較するもはロシアでも中国でもキューバでもない。
EU加盟国ですよ。(ノルウェーは違うけど)
しかし、日本人は意外とそういうのに否定的です。
「そのぶん、税金が高くなる」とか
「働かない者が増えてしまう」とか

しかしさ、彼国はそれで結構幸せそうですよ。
対して、日本は幸せなのかなあ・・・豊かなの?
その貯金はなんのためなのか?

 (1)貯金がないと安心が得られない国と国民。
 (2)貯金がなくても安心して生きられる国と国民。

どっちがいいのかです。
でね、この考察、選択のなかに、「自分だけは」とか
「自分さえよければ」という罠がある。

これは、復興財源を増税や電気料値上げを提示された場合に
「まあ仕方ない」と考える人達のひ弱な御都合主義にも横たわっている。
はやい話が「面倒臭い」んだ。
みんなで負担する「その痛み」なら、大したことはないと考えている。
ところがどっこい、もうそうはいかないんだな。

  釘を刺しておきますが、これは
  「 原発このままやりますか? やめますか? 」
  なんていうのとはまったく次元の違うものですからね。一緒にしないでよ。
  原発でどうのこうのという選択肢はもうない。

  浜岡の町長や市長の発言を聞きましたか?
  あれも、利権である。しかし、ああいう利権が本当に地域住民の利権なのか?
  分不相応なテニスコートや体育館や図書館などの公共施設。
  これは浜岡だけのことではなく、全国の原発の町にもいえることだ。
  もし、仮に、そこで事故が起きた場合、その周辺の市町村の人達に
  どう申し開きするのか、発言者の蛮勇コメントに耳を疑う。
  電力会社だけの責任じゃない!

  原発はもう日本では推進できない。
  それに対する議論の余地はないのです。

話をもどして、被災者一人あたま200万、300万のお金は
当座の生活費にはなっても大した額じゃない。
それでも総額に直すと大した金額になるはずです。
それでも使った額に対して、不足・不公平・不満が生まれるとしたら
これは効果・効力がない、不経済なものではないでしょうかね。
費用対効果っていうやつです。

日本の場合は、色々な形で「税」が課せられています。
消費税だけでみれば西側先進国より安いとか、タバコ税は安いとか
そういう個別の比較はおかしいと思う。
小出しに色々な税金があって、非常に非効率だと思う。

税の一本化から、徴収のスリム化をはかって、公務員改革を成す。
つまり、年金も生活保護もすべて一本化してしまえば、
今回の大震災の被災者だって、最初から保障はされているわけですから
精神的に追いつめられる(経済的部分)不安は緩和できたと思う。

阪神大震災みたいに、切り捨ててはいけない。
それに比べて規模が大きすぎるので、下手を打つと大変なことになる。
と思うのです。

憲法基本的人権として、国民は生きる権利があるわけだ。
国民が生きられない、生きづらい社会っていうのは憲法違反だ。


次回は、北欧の社会制度について