りんちゃんのモヤモヤ(3)北欧の社会保障制度(1)
社会保障制度の充実に対して、意外にアレルギー反応をしめす日本人。
これは戦前から戦後の(共産)主義者弾圧の影響も大きいと思います。
先週末にアマゾンで注文した佐野眞一の『巨怪伝』なる分厚い本が届いた。
これは「原子力の父」とも謂われた正力松太郎を描いた本です。
正力はもともと内務省・警察官僚だったのですが、
大正から昭和にかけての米騒動や関東大震災などにみる
(共産)主義者否定の正力の姿勢は一貫している。
それは戦後になっても変わることはなく、
これが日本の原子力発電の動機といっても過言ではない。といっていいでしょう。
東映実録路線の後期に『県警対組織暴力』という傑作があります。
これはマル暴警察官の話で、
主人公(文太)の同僚に病的なまでに共産主義者を憎む刑事を
名優・汐路章が熱演し、リアリティーを高めておりました。
日本人の意識には、そういう下地があるのです。
わたしの父は船乗りで昭和40年代はソ連、中国、東南アジア等の港に
入港していた関係で、お土産として毛沢東のバッジとか
ソ連の翻訳書籍なんかを持ち帰っていた。
まったく左の人ではありませんでしたが、文化大革命以前であれば、
毛沢東はそれなりの英雄としてみられていたのかもしれません。
「働かざる者は食うべからず」
これがその頃の父の口癖だったものです。
これもまた平等精神なのだ。
しかし、働ける人はいい。
働く場のある人はいい。
高度成長期にそった日本に資本主義自由主義には
共産主義を否定しつつも、そのなかに共産的な平等主義を持ち込む
ある種の弱肉強食(姥捨て山的)思想が浸透していたと思う。
これは、戦前の、もしくは明治の、幕末以前の
日本人の思想とは異なるものだ。
なんたって儒教の国で、「孝」を尊ぶわけです。
忠(忠義) 対 孝(孝悌) の論争はあっても「孝(行)」の存在は大きい。
頭山満のスタンスなどに触れるとその辺がよくうかがえます。
というわけで、日本の近代化はこういった(日本の)儒教精神から
乖離していく延長線上にあるといってもいいかもしれません。
と同時に、欧米の個人主義がまったく違ったカタチで浸透されていった。
つまり、個人主義が自主独立ではなくて、
基本は「長いものには巻かれろ」「寄らば大樹の影」的な依存と処世とを平行させて
「自分だけは」「自分さえよければ」という御都合・個人主義に特化していった。
民主主義、自由主義の履き違えというものだ。
義務は負いたくないが権利は主張する。
ああっ、話が固くなってしまった。
ホントはバイキングの話にしたかったのに枕が長くなってしまいました。
前説として、記事を別にします。
要は、日本人は平等を求めているくせに、
個人の基準を中心とするので、そこに矛盾と不平があって
強者と弱者に「嫉妬」するという性質を育んでいったという話。
それが顕著になったが、なんと最近の「戦後」というわけです。
それもまた、豊かさの徒花なのでしょうかね。
なんとも皮肉な話じゃないか。