あかんたれブルース

継続はチカラかな

エクソシストの目糞鼻糞



呪いとか憑きもの退散駆除は
きまって聖職者が登場します。
坊さんに神主さんに神父に牧師さん
それなりの信心信仰が裏づけのようですね。
発展途上国だったら呪術師だな
陰陽師に霊能力者にしても同じ。

しかしなんでそういった亡者怨霊たちは
お経やミコトノリや聖書
お札や十字架や聖水が苦手なんだろうか?
こういったオカルト超常現象は布教のパフォーマンスか?

日本にうつ病が発症したのは
黒船来航以来だといいます。
それまでは癇と癪と憑きものしかなかった。

この憑きものは明治維新を境に
その前は圧倒的に狐の類です。
それ以降は神様系が急増する。・・・怪しい

怪しむのいいけれど、だからってインチキと考えるのは早計だ。

当然推理としては尊王思想にあって、思い込みにある。

じゃあ気のせいか? 違う。

世の中すべて思い込みで動きますから
この思い込みが呪いの正体である。と考えるのが正しい。

でね、呪いの類を呪う相手の方ばかり気にしちゃあかん。
将門や道真は本当に呪ったか?
むしろそれに後ろめたさを感じたものたちが
自分で自分を呪ったのではないか。

ここで上記の御祓い師たちが登場する。
彼らは呪いよりももっと強い思い込み、信心があります。
呪いの正体は迷いですから、信心のほうが絶対に強い。
儀式があって供物があって建立があります。

そういうことだ。


わたしたちがまずしっかりしないといけない。
でないととりころされるぞ。

次が相手だ。
なかにはとんでもない身勝手な恨みをいだくものがある。
だいたいはそっちのほうが多いかもしれません。

買っ喰ったバナナの皮に小蝿がたかるとか
絡んだら正論で粉砕されたとか
殴ったら殴り返されたとか
馬鹿っていったら馬鹿っていいかえされとか
ハゲてないのにハゲっていわれたとか
ハゲているのにハゲっていわれたとか

そういうのにいちいちかまっていられないじゃないか
つまり、そういうヒガミ根性を祟り神にしちゃいけない。
そこでの優しさは優しさにならない。

結局、そういうものは亡者であるのだから
ちゃんと成仏させないと、あかん。


生霊というものがある。
リアル世界でもネット世界でもウジャウジャいる。
そうなった原因には悲しい事情があるだろさ
でもね
大阪しぐれ」の歌詞二番で歌うように
誰だって
ひとうやふたつじゃあないの古傷はあ~
です。
理解するのはいいけれど、
自分がしっかりしていないと
とりころされてしまうぞ。
そういう心の隙間に入り込んでくるものです。

また、その相手を亡者にして祟り神にしてはいけないのだ。
世の中は悪かろうひどかろう理不尽であろう。
しかし、しかしである

そうさな、最後はジブリの『コクリコ坂』から
きれいにしめましょうか

「人はいつも矛盾の中に生きている。
 人間への絶望と信頼、その狭間に人は生きている。」



お後がよろしいようで