あかんたれブルース

継続はチカラかな

己を空しくさせる




己を空しくさせる



わたしがこの言葉に出会ったのは
30代のはじめだったでしょうか
『坂之上の雲』のなかにありました。

大山巌という人が後年この己を空しくさせる
訓練をした。と司馬さんは記していた。

大山巌とは、日露戦争で現場総司令官を務めた人物です。
一度第一線から退いたのですが
諸事情がいろいろあってかりだされた老人。
そのすべては副官の児玉源太郎にまかせて
負け戦のときだけは指揮を取る、と公言した。

大山はこの言葉どおり、戦時中なにもしない。
キツネ狩か、散歩か、白菜の栽培研究、昼寝・・・
紅茶を、ポットに入れて、冷めないようにポットをタオルで
ぐるぐる巻きにして、それを抱えて
たまに参謀部に顔をだす。

「今日は朝から大砲の音が激しいですが戦はどこですか?」

この言葉にには児玉以下参謀たちがズッコケたそうです。
そして救われた、と。

ま、典型的なボケですよね。


この大山は若い頃「弥介」といって
おなじく「信吾」とよばれていた西郷従道とふたりで
西郷隆盛の左右にあった助さん格さんでした。

西郷隆盛って人物は非常に優秀な、有能な人物です。
もともとは事務屋で数字に強い。
それでいて薩摩人特有の激しさもある武人でもあった。
現在西郷さんが亡羊としたイメージをもたれるのは
維新後の彼の姿勢からのものです。
この大西郷も己を空しくさせる訓練をしたのでしょうね。

大山はそれを身近でみていたわけだ。

助さん役の大山は「知恵者の弥助」(隆盛の従兄弟)
格さん役の従道は「大馬鹿者の信吾」(隆盛の実弟

といわれていました。
大山は切れ者だったのです。砲術のスペシャリストでもあった。
留学もしていてフランス語も堪能、おしゃれで美食家だった。

わたしは、なぜ大山がそのような「訓練」をしたかを
30代の頃にはなんとなくではあるけれど考えはしましたが
まあそれはそれなりのことであって
読みすごしていたと思います。

それから10年後の2004年から5年にかけて
わたしは再度『坂の上の雲』を読み直していた。
映画でも本でも名作名著は何度でも読み返す価値のあるものだ。
そのときの年齢によって感じ方捉え方味わいもかわり
そういったものにふれることは刺激となって良いものです。が、
わたしが必死こいて文庫本全再読していたのは
同作品の人物伝を書き上げなければいけない事情があったから。
だからより真剣だったかとも思う。
この必然に感謝しています。

そこで、
ふたたび、己を空しくさせる、という言葉と向き合った。
そのとき、45歳のわたしは
わたしなりにその意味と意義はみいだせたと思っている。

それからさらに7年が過ぎ
つくづくと、しみじみと、この意味と意義を痛感させられる。

ブログをはじめてから
よく、
言葉の側面だけを妄信するなとか、常識に囚われるとか
必勝法特効薬、悟りなどを求めて
性急に答えを導こうとするなとか
ガミガミ言っていやねえガミガミさん
と感じた方は多かったと思います。


すべてには表裏がある。
名言格言でさえも必ず反対の意味の金言があるものです。
物事を、人間を、一側面だけで判断するのはよろしくない。
なんかジジくさいようですが、これは事実だ。

しかし、しみじみとつくづくと
この己を空しくさせる、は
そういった意味で
すべての問題を解決させる手法ではないかと
思うのです。
この言葉には表裏がない。

そのぶん、その解釈がむずかしいのも確かです。


なんか、前説で長くなってしまいました。


頁をあらためます。