あかんたれブルース

継続はチカラかな

ライフスタンスはラブで統一

己を空しくさせる(二の膳)


わたしの知り合いで
まったく異質な性格を共有している人がいます。

もともと人間の性格っていうものは
多面性で構成されいて東洋哲学から考察すれば
八面体の一個空洞か
もしくは、六面体の一個空洞であると
わたしは考えています。が、

その人はまった異質な水と油というか火と水というか
天麩羅とスイカ、梅干とうなぎ、というか(汗)
やり手婆と可憐な少女のようだ(涙)

多重人格かな?

友人に相談しましたところ
違うという。

確かに、病理学的な意味でのそれとも違う。

なんというか、人工的なものなんだな。
社会に適応するために造り上げたもの

とは別に
ケメ子から「私の彼は多重人格?」と問われた。
ほんの数秒考えて、違うと答えました。
このケースは逆で
ケメ子の彼氏には核をなす人格がない。
ただ前者の場合と同じで
社会に適応させるためにそういうふうに彼がした。わけだ。

たとえばそれは体育館にうつる自分の影のようで
多数の照明から生まれる
たよりない
いくつもの影のようなものだ。


また、別の話で
わたしの知り合いに霊能者がいて、あるとき
絶対にやらない禁じ手で恋人の内面を観た。
恋人の様子に違和感をもったからでした。
その結果、
その恋人は性同一性障害で実は女性であり、
その人はそれをずっと隠してきた。
そのために、たくさんの人格を造ってきた。
それがどんどん増えて100個ぐらいあったとかいってましたかね。
いまではどれが本当の自分か、本人でさえわからない状態だとか。

ま、みんないろいろです。濃いのか薄いのまで
ぱきっとしたのから曖昧なものまで


ただ、ひとついえるのはその因果の因は
自己に対する執着からきているのだと思う。

つまり、傷つきたくないという
守りが、防衛本能と学習効果による適応で
そうなったと思う。

なぜ、傷つくのか
なにに傷つくのか

痛みは個人的なもので
比較はできない。

出産の痛みを男は絶対に知ることはできないし、
ちょっと指を切っただけで大騒ぎする人もいますが
その人にとっては大事です。

わたしは歯医者が苦手であの削られるのが嫌だけど
ルイちゃんは快感だそうです。
わたしは学生の頃に人が一生殴られる3倍分を経験したので
そういったことには免疫力がありますが
そういった荒事に慣れていないひとにとっては
殴られることはショックだとも思う。

ただ、
そういったものに優劣はなく
結局は個人的なものだ。

では、傷つくことに対する姿勢の違いは
どこから生まれるのだろうか?


まず、考えられるのは
その人の育てられ方にあるのではないかと思った。
愛情のかけられかただ。

つまり、幼い頃に愛情いっぱいで育ったものは
どこかで、楽天的で、
なにがあってもなんとなると考えてしまう。
対して、そうでなかった人は
なにかあるととても不安だ。
頼れるのは自分だけと考えてしまう。
そう思うととてもつらいのですが
かといってどうにもできない。

人間の人格の中心は魂です。
人間の幸せはこの魂が自由になることであるから
たとえどんな事情があっても
自分らしくない言動や生き方をすると魂は喜ばない。
魂は傷つくことはありませんが、不満だ。
この不満こそが人間にとっての不幸というものだ。

その意味で、自身の人格の統一というものは
とても重要なものです。

だれのためでもなく、自分自身のために