あかんたれブルース

継続はチカラかな

隠されたふたつの音



生まれ育った環境も違えば
価値観も好みも違うものです。

サヨリが好きだったり
ナマコとナタデココがだめだったりするよね。

でも、似たもの同士がうまくいくとは限らない。
そのぶん衝突することだってある。

異質なものに惹かれあう場合だってある。

趣味の合う合わないを大きなファクターにする場合があります。
それはひとつのテーマから深く知り合える場の提供であり、
互いの感性を確認する手段だ。
比較ですね。
あくまでも自分を基準において、相手がそれをどう感じるか。

共通点をみいだせば、嬉しい。
同じ感性、同じ波長をかもし出していることに
驚きと安堵があるものです。
では、違ったらそれでダメなのか?

異質だから即ダメってことではなく、
その内容によりますよね。
そこにも驚きと発見があって、尊敬だって生まれる。
へええ、こんな考え方感じ方をするひとなんだあ・・・
とかさ。

新世界へ一歩踏み出す。

ここははじめて足を踏み入れてもどこか懐かしい。
地下鉄の出口から外に出てすぐの商店街
この道幅の狭さがほっとさせるのかしらん。
浅草とは違う。
将棋屋や古い店構えの喫茶店
この店の扉の向こうに高校時代の自分が悪友と
くすぶっているような気がしてしまう。

人種や宗教や国境を越えて
共通の共感を持ちえる方法があるという。

四番目の音と七番目の音を封印してしまうのだそうです。

そこに郷愁の旋律が生まれる。

ファとシの音を隠してしまう。
世界のどの国の民族音楽にもこのファとシの音が入っていないとか
だから、誰しもがなつかしさを感じてしまうのだそうです。



休止のフェルマータ


すこし立ち止まってみましょうか。

きみとぼくの四番目と七番目の音階とはなんだろう?

気負いか、怖れか、それとも

なんでも使える自由に惑わされて
使わない自由を忘れている。

主張する組曲ばかりでは疲れてしまうよ。
今日、雨の午後はきみと一緒に寄り添っていたい
きみとぼくの四番目と七番目の音を隠して
もっと素直に重なっていたい
溶け合いたい


なんちゃって(汗)