あかんたれブルース

継続はチカラかな

その手じゃ感じない

月夜の晩餐(2)


昨年、話題となった『告白』を観ました。
それ以前に
「救いのない結末」という批評を読んでいた。
がゆえに「言葉を失う」と。

どんなものだろうと、観てみて
わたしはそこまでショックは受けなかった。
深作欣二の『バトルロワイヤル』よりよかったかな。
少年法というテーマを下敷きとした
エンターテイメントとして観ました。

残酷、残虐、ハードバイオレンスには
食傷気味で、十年前に愛想を尽かした。
そういうものでは感じない。

殺傷では、血や爆発では感じません。
残酷さはもっと違うところにある。
『告白』でいえば、傍観的加害者のクラスメートたち
あれらを爆死させたらもっとスカッとしたのに、な。
なんてヒドイことを考えてしまう。

でもしないよね。

不文律がある。
それが安全パイになってリアリティーを損なわせる。


セックスについて

爆笑問題」の大田光が面白いことをいっていました。
エロDVDでは感じないと。
設定のシチュエーションにリアリティーを感じないんだと。
女があそこまで御奉仕することを不自然に感じるんだと。
それはいえてる。同感です。
それにワンパターンだしね。

大田総理が萌えるのはダスティン・ホフマンの『わらの犬』で
誘惑される人妻が拒絶しているのに一転して女に変わる
刹那のその瞬間だと申しておりました。

エロDVD、結構なことですが
ああいうものがセックスであると考えてしまうと
味気ないよなあ

たとえば、寿司をクルクル寿司でしかしらないとか
ステーキイコールハンバーグでファレスでしかしらないとか
おでんはコンビニでしか食ったことがないとか
まあそれはそれでも十分ウマイわけで
それを根こそぎ否定するものではありませんが
なんかそれだけで捉えられると、さびしいよね。

いっときますけどねえ、高級寿司屋に行けとかじゃないよ。
そんなにお手軽に食わなくても3回いかないで
2回我慢して、その3回分でちゃんとしたのを
たまには食ってみるのもいいのではないか、ということです。

世界観の問題だ。

これは作り手、送り手側の問題でもあるけれど、
同時に、受けての問題もある。

100万人が泣いたというケータイ小説に首を傾げる。
それを歳をとったせいだとする揶揄に
わたしは納得はしない。

難病や死をキーワードにする感動なんて糞食らえです。
それでようやく命の大切さを知ったなんて
馬鹿じゃないかと思う。
血しぶきや爆発なんかでは動じません。まったく
3Pも変態プレーも飽き飽きでまったく興奮なんかもうしないよ。
52歳だぞ(涙)

そういう刺激の方向性じゃないと思う。
少なくとも、石井隆はそれを知っている。確信犯として。
ただし、それが受け容れられるか、どうか?
これが現実的な「興行」としての問題なのでしょうねえ。

乖離していく。

そして埋没して地盤沈下を起こしている。

感性が麻痺していく。

そういう危機感のほうが、もっと恐いと思います。
薄気味悪いほどに