あかんたれブルース

継続はチカラかな

匿名性とフェイスブックの効果



放射能汚染が拡大してるニュースのなかで
高濃度の都内某所に棲む馬太郎でございます。
あたしなんざあ老い先も短いので
なんてことはないのですが、若い世代がね
心配ですよ。
だれも責任がとれない、とらない仕組みでやんす。

だったら最初からやるな!

法治国家なんだから
担保も保障もないものに投資するな。
これでいいんだと思いますけどね。基本は。


うり坊からフェイスブックの話をふられて
考えた。これまでのブログとの違い

匿名性がないので、わけのわからない言動が少ない、とか。

ネット上の荒らしとか暴言は以前から
頭の痛い問題としてきました。
そこに「匿名性」というのが原因だという。

なるほどだ。発言に責任をもたなくてもいいもんね。

それとわたしが痛感するのは
物事に対する否定と肯定で、否定のほうが頭良く見える錯覚。
たとえば、本や映画のレビューで
それを肯定すればそれと同等。絶賛すればそれより下。
否定すれば、それより上の見識をもっている
のような雰囲気があるような

どうだかなあ・・・

そこに「疑う知性」の早飲み込みもあるでしょうしね。

また、
相手を否定することで
自分を肯定する手合いも多い。

そういったなかで匿名性は絶好の隠れ蓑になる。

匿名性のメリットは
本音を語れるところにあると思うのですが、

その本音を
相手を傷つける、嫌がる、攻撃することにある
と勘違いしてる手合いが多い。
建前社会のなかで絶好のガス抜き場として捉え
リアル世界だったら絶対に口にださない
誹謗中傷嫌味や揶揄を吐き出して喜々とする。

はたしてこれをストレス解消といえるだろうか・・・

なんかどんどん人間の質をおとしていくようで
そういうのが現象と拡大していくと
世の中全体が薄汚れていくようで、恐いです。

さて、わたしが合点がいかない、放射能より怖い
戦慄をおぼえるのこういうことだ。

疑う知性じゃあなくて
知性の空洞化、知性のメルトダウン

ではないだろうか