あかんたれブルース

継続はチカラかな

しかしアンキモは美味い。



男色の記事にうり坊からキモい!とクレームがきた。
しかしそれが美少年だったらどうなのか?
第一彼女は女性ではないか(違ったりして(汗))
男性のわたしが嫌悪するならわかるど。
たぶんうり坊は脂ぎったハゲのそのクセ毛深い
四つ相撲を想像したんだろう。と思う。

よし姉さんは人それぞれだから、いいじゃなんと
理解を示しつつもエンガチョです。

わたしはゲイやオカマを差別するつもりは、ない。
そういう人たちは好き好きでやっているわけだ。
ここで問題のなのは、
そうでもない人たちが流れる、傾く、不自然さ
にあると思う。

そういうのは不純だと思うんだな。

戦国時代のそれには利害関係がある。
それ以降のそれは、そこからの延長で
「男道」の妄信でもある。
そこにはセクハラもあるし、トレンドもある。
第一に、その強さは「戦い・戦争」に特化している。

はっきりいって、そういう強さをわたしは認めまさせん。

たとえニューギニア土人の風習に
それがあったからといって、
じゃあ成人式に割礼だっていってチンチンの皮を切る
地方自治体はあるか?
ワニ族みたいに体中を切り刻むか?
木のツルでバンジージャンプせにゃならないか?
下唇に南部せんべいをいれなきゃならない、となるかあ?

逆説的に考えれば、死ぬのが恐いから
武士道(男道)を「死ぬ事」としたわけで
通常の男女の営みを後ろめたく考えたから
男に奔ってみたといってもプチ過言ではない。

おっじが三島を引き合いに出してくれましたが
三島由紀夫に男性的なコンプレックスがあったことは
知られています。その最期が割腹自殺だったことも
その証だったともいえるでしょう。

たとえば、男女のセックスで
愛がなくてもできる。といって突っ張るけれど
そういうものは愛がないほうほうが逆に楽なのだ。
愛は結構めんどくさいものだかんね。
そうそうないから、それを前提にすると
そうそうできなくなる。

強さという観点から考察すると、
守るべきものがあると、たとえば
親とか妻とか子供とか家族とか、あると弱くなると
考えられていたようです。
その強さを「戦争」に特化させたからでしょう。
そういう条件付きの強さじゃあなあ・・・
そこに不純を感じるわけだ。

男女関係なく、
強さ、優しさとは
そういうものではないと思うんだな。

これがここでのひとつの結論です。