あかんたれブルース

継続はチカラかな

たまには意識してみたがいい

良識派の壁(7)


タイの水害。
今朝のニュースで水没したアユタヤに向ってはしる
列車の映像を眺めながら
千と千尋の神隠し』のワンシーンを思い出した。
妻に話すと、昔は越谷あたりでもよくあったそうで
綾瀬川の氾濫で東武伊勢崎線もあんな感じで走っていたとか。

神々の怒り、か。

祟り神とか、神を恐れぬ人間の驕り、不遜・・・

1911年もあとわずかですが、今年は散々な年となりましたね。
3月の震災、津波原発事故。円高、ユーロ経済危機・・・
タイの洪水も経済発展による都市開発の人災だとか

マヤの暦が2012年で立ち消えているとかで
いろいろ取りざたされているようですが、
とは別に、アーヴィン・ラズロ博士の説く
カオスポイントに信憑性がグッと深まってきますねえ(汗)。


エンデが言い残していった最期の言葉
「歴史に学ぶ者なら誰でもわかるように、
 理性が人を動かさない場合には、実際の出来事がそれを行うのです。」

「私が作家として、この点でできる事は、
 子孫達が同じ過ちを犯さないように考えたり、
 新たな観念を生み出すことなのです。
 そうすれば、この社会は否応なく変わるでしょう。
 世界は必ずしも滅亡するわけではありません。
 しかし、
 人類はこの先何百年も忘れないような後遺症を受けることになるでしょう。」


二年前でしょうか、三年前?
このエンデの警告を
東洋哲学『易経』の循環論から、強く頷かされ
記事に記しました。
これはすべてにいえることです。
経済も環境問題も人間関係もすべて


わたしは様々な事象を「神々の怒り」という
ロマンチックなものとは捉えない。
それは科学的な因果でしかないと考えます。

その因果のうえで、科学的、哲学的に、
宗教というものを強く意識します。

これがまた、坊主の堕落やオウムの暴走から
すっかり地に堕ちてしまった。
哲学なんてものを語れば女の子に嫌われる(汗)。
それ自体も小難しくして手の届かない存在にしてしまった。

考えることを、悪と捉え、考えないことを上策とする。
そんなトレンドが罷り通っている。
たしかに、世の中は矛盾だらけだ。でもそうじゃない。
さまざまな問題を考える、姿勢において
人間が人間だけで考えることに無理があるのだ。

宗教学ではそこに「神」という存在をおきます。

神がいるとかいないとかは、この際関係なのだ。
人間を超越する存在をおいてみる。
そこに価値がある。

NHKBS時代劇津本陽の『塚原ト伝』が昨夜最終回でした。
日本の代表的な剣豪、その祖といってもいいのかな?
なかなか面白い剣豪ドラマでした。
鹿島の太刀は神から授けられたものだと、ト伝以下それを信奉している。

剣術修行に京に向かった新右衛門(ト伝)は
小田原で北条早雲と出会い、
「いつまでその戦いを続け、どこまで勝たねばならないのか」と
問われる。そのとき、若き主人公は答えを見出せません。

それから十年。数々かの強敵を倒して
京で名声を獲た新右衛門(ト伝)でしたが、心の迷いを生じ
故郷鹿島に戻って、三年の苦行を行います。
鹿島の神にすがるわけです。

そこで開眼して、和を尊ぶ「平法の剣」の真価を見極める。

全七話のなかで様々な決闘シーンがあるのですが
この最終話の剣の師、松本備前守との戦いは感動的だった!
物語はト伝の青春を描いたものですが
第一回の早雲の問いかけから、最終話の結びにつながって
さすがは津本陽と関心したのでした。

神とか仏とかいうとなんか堅苦しくて、辛気臭いけれど
こういう剣豪小説とかドラマなんかで
考えてみるのも悪くないですよ。
要は、人間の驕りや呪いは、「自分だけ」の拘りに潜む
そういう罠があるんですね。

渡辺さん、わかってるか?