あかんたれブルース

継続はチカラかな

幸せってなに?

間に合うということ(たしか?4かあ?)

ゆり子の問いに対する絶好の答えが浮かんだ。
それは先週の月曜日、午後3時45分。
場所は芝の東京タワーの真下辺り

久々にスーツ姿でやり手のビジネスマン風
でもサングラスなので怪しい貿易商。か、企業舎弟か総会屋(涙)
国籍はジャカルタみたいな馬太郎はその坂をのぼって
東京メトロ日比谷線神谷町駅方面に急いでいた。
次の打ち合わせは4時30分だ。急げ!

行く手の坂の頂上あたりにインド人かパキスタン人かの
御夫人が中腰で振り向いて片手をあげた。
反対の手でベビーカーを持っている。
タクシーを拾おうとしていたのだ。

わたしを通り過ぎた青みがかった黄色いタクシーが
彼女の前方に止まった。
そうこうするうちにわたしは彼女の近くまできていた。
この母親はベビーカーから赤ん坊を取り出して
片手で抱いて、そのベビーカーを二つにたたもうとしている。
が、片手では上手にいかないようで

さっとね
手伝いましょうと、日本語で声をかけて
さっと、それを二つ折りにたたんで
タクシーのトランクを上げてなかにそれを仕舞った。
運転手が出てくる間もない、出来事であって
わたしはそのまま歩き出していった。

風の男、だ。白洲馬太郎!

そんな風の男をそのタクシーが追い越していきました。

その間合いというか、タイミングが小気味良くて
非常に気持ちがよかった。
なんというか、良い事をしたというだけじゃないんだな。

やってあげた、んじゃない。
やらせてもらった。この表現がしっくりくる。

絶妙のタイミングで、動作が自然で無駄がなく
ポーンとほおった紙くずが、空き缶が、ゴミ箱に入ったような
なんというか、嵌った。という感じ。決まった、かな。

つーたんだったらきっとそれを「間にあう」と表現しただろう。
わたしは「筋」とか・・・そう、そのとき「縁」、
ご縁というものを感じた。
なんか抹香臭いだろうが、アロマの香りのように癒されて
とっても気持ちがよかったのさ。

そんな機会を与えてもらったことに感謝しました。
そういうのはなかなか転がっていない。
また、見逃してしまうこともあるだろうし、
どうかしたら気後れする場合だってあるんじゃなかろうか。

そのときは、まったくそんなことはなくて
とてもしっくり、嵌った。ご縁を感じたよね。
そのインド人の母親とじゃないよ、
そういう場のご縁だ。

そこに幸福があった。

なんかとても得した気分だった。
この気持ちを損得で表現すると誤解されそうだけれど、
とにかくわたしはハッピーだったのさ。


ゆり子、幸せっていうものは
こういう感じ、じゃなかろうかと
わたしは思ったね。