あかんたれブルース

継続はチカラかな

あなたなあ~らどうすぅるぅ~♪



一方で私達は知性を恐れている。

旧約聖書でアダムとイブは知恵(知性)の木の実を食べて
神の怒りにふれてエデンの園、楽園から追放された。
その木の実は「善悪の知識の実」ともいい。
それを食べるようにたぶらかしたのは蛇に変装した悪魔だ。

しかしなんで神はそこまで怒ったのかなあ


ギリシャ神話では
プロメテウスが寒さに凍える人間を哀れに思い
火を与えた。

それがゼウスにバレましてね。暴いたのは文春か!?

ゼウスは激怒した。
哀れプロメテウスは山に縛られ毎日よし姉とうり坊に
肝臓を食い散らかされて痛い痛いの無限地獄だ。
うり坊はレバーが苦手なので頭皮を突っつく
痛い痛い新手のSMプレーだ。鞭で縛ってえええええ!


しかし、クリスチャンでもギリシャ人でもない
私たちがなんでそういった神話に影響されるのか?
いや、知性を恐れるなんて考えてもみなかったかもしれない。

でも正直にいってごらんなさい。
いまだった怒らないから
素直に白状しなさい。
桜の枝を折ったのはあなたですね。

違うって(汗)



私達が知性を怖れる、とすれば
まず、科学の発展からの破滅、破局
ナウシカラピュタの世界だ。
しかし古代にこれを考えた神話の作者って、知的!

次は、合理性や効率性などで人間の人間らしい
あり方からかけ離れていく不安。
もしくは、
考えすぎて混乱する矛盾する苛まれる・・・
自分の生き方とか考え方に疑問をもってしまいかねない。
そういうことの非効率を怖れるのか。とか
野暮・ダサイって、捉えるのかもね。

  でも、知性に畏怖する人はある意味で謙虚かな
  そういう知性をなんの疑問も持たずに
  むさぼって暴力にかえる輩も多いものです。
  そういうのもイヤなんでしょうね。


知ることが恐い。

つまり、「それ」は知らないことを知ることでもある。

知らぬが仏
(日本の諺より)

知らぬ仏より知ってる鬼
(『仁義なき戦い・代理戦争』より広能の名言)


あなたはどっちだ。


続・暴力を考える(知性の暴力・3)
タイトルはいしだあゆみのヒットナンバーから