あかんたれブルース

継続はチカラかな

繋がりの法則

Jの食卓(愛の研究)

その記事のURL:
http://blogs.yahoo.co.jp/basicincome01/14765279.html
http://blogs.yahoo.co.jp/basicincome01/14765313.html

JJ.は愛について考察しているのですが
わたしはこの記事を読んで因果律について思いを馳せました。

わたしがそれを意識したのは21歳のとき
仕事帰りの田町の駅前の喫茶店
ガラステーブルの下に十円玉敷き詰めていた
大きな一枚板のテーブルをふと眺めたときでした。

一枚のコインは
その他の多くのコインによってその位置に存在している。
どれか一枚に動きがあると他のどれかも場合によっては全部
変化を起こす。

たとえば、ゲームセンターのコイン落としのようなもので
なにかのタイミングで総崩れする、あれとか。


因果と時間については以前記事にしました。
そんなにオカルトじゃなかったでしょう。哲学的で科学的なのだ。
さて、そこに人との繋がりとして「縁起」というも持ち出してみる。
愛縁奇縁、宿縁に悪縁・・・・
人生は邂逅にありと申しますが、この有限の人生のなかで
ある程度年齢を重ねてふり返ってみれば、出会った人たち
というものはそう多いものではない。
若い頃はこんなことは考えません。無限大に思えるものですけどね。

しかし、違うんだな。

で、次の段階の考察で、こういった出会いには
なんらかの意味があるんじゃないかと思ったりする。

これは、すべては、偶然ではないんじゃないか?

つまり、昨日があるから今日の自分がある。
過去があるから現在の自分がここにいる。因果なんですが・・・
縁起もそれであってその縁があって起こる。
そういった縁とは偶然じゃないんじゃないか?

たとえば、みなさんはなぜ馬太郎と接点をもつのか?

もっと気楽につきあえるブログはあるはずだ。
で、そういう人はそういうふうに流れますが
それでもこうやって交流が続く。ここに御縁がある。

なんだこれは?

ひとつは波長なんだと思う。
理屈じゃうまく説明できないけれど、なんか波長があう。
その波長には引き寄せという性質があります。

こういうところから
ある波長のコロニーというかコミュニティー
生まれるとして、そこに性質が生まれる。
たとえば、ここはアホのコロニーです。
ま、シャレでアホとかおバカといってはいるけれど
わたしからしたら非常にピュアなあんぽんたんですけどね。

そういうなかである不思議な現象をわたしは体験します。
意識や思考がシンクロするのだ。
たとえば、わたしがあるテーマを記事にすると、
つ~たんやJJ.たちが同じようなことをテーマにしたり
また、わたしの記事を読んで
「同じようなことを考えていたところです」なんてことが
多々あります。偶然か?
そりゃあねえ、親しいからそれもあるでしょうが、
それだけじゃあない。打ち合わせしてるわけじゃないんだもん。

私達は繋がっている。

それを一番わかりやすくしたのがネットの普及だ。

私達はそれぞれ別々の場所に存在し生活しています。
地理的にJJ.とは比較的近くて電車に乗れば3時間ほどで会える。
それでも、ネットがなかったら一生会わなかったかもしれない。
職種も生活環境も年齢も違うのだ。
よし姉、うり坊、ルイちゃん、かおりくんは関西だ。
つ~たんは山口、九州や東北の方々もいる。

反対に、わたしは同じマンションの人と一生口を聞かないかも
(だって挨拶しても相手はそれを拒絶する(汗))

とにかく、
時空を超えて結ばれているわけですが、
その結びつきにも仕事とか利害とかではなく
義務もなく、集っているわけだ。
そこに目に見えない意識の繋がりが生まれている。
無意識の世界で繋がっているということだ。

偶然なんてことをよくいう人がいますが
科学的にいえば、世の中に偶然なんてない。
そこには必ず因果がある。
縁起があります。
すべては、必然なのだ。
そういったものは時間とか、地理的物理的のものに
束縛されません。

JJ.の記事から、博愛をイメージされて
誤解を生む場合もあるのかなあ、と思って
こういった記事を補足してみたいと思いました。

個人→共同体→全体

こんな段階でしょうが、結論として
私達は繋がっている。

たとえば、馬太郎を起点にAとBのグループがある。
AとBは交流はありません。しかし
その間に馬太郎という人間を置けば、
(A)-馬太郎-(B)となって
AグループとBはグループは繋がっていることになる、わけだ。


ね、そうでしょう。