あかんたれブルース

継続はチカラかな

循環機能不全

Jの食卓(愛の研究-5)


先日おっじ夫妻とお会いしてひとときを過ごしましたことは
例の膝枕点眼の顛末記事でアップしました。

そのなかでボランティアに情熱を傾ける夫に
妻は「私はボランティアって(言葉が)大嫌い」と言い切る。
夫婦間の思想の、姿勢の、相違か?
とはいって、この夫婦の足並みはぴったり揃っていて
この日も千葉の施設での収穫作業からの帰りだった。

彼女が言うのは「ボランティア」という言葉に対する
違和感であって、彼女自身は幼友達との交友から
自然に必然としてそういうことをやってきた人です。

わたしは彼女の思いがわかります。
あたりまえの人間の本能とでもいうものですかね。
そして、彼女は夫を理解している。

とてもよい夫婦善哉をまのあたりにして嬉しかった。

彼女とはお金の大切さについても語りました。
わたしたちはお金がどうでもよいとは考えてなどいません。

おっじとは、しみじみと
「人は生かされている」ことについて語った。
よく聞くこの言葉を本当に咀嚼して痛感し理解できたものは
幸いである。そして少ない。
これが三人の共通認識です。

わたしはよく「己を空しくする」という
発想、行動学を記します。
これがなかなか難しい。行動に移すのも難しいでしょうが
理解するのも難しいようです。

プロセスからいけば、
「人は生かされている」→「己を空しくする」
なんだろうなあと、考えます。

これは、そうせねばならない、ではなく
そうしたほうがよい。それが幸せの近道だ、と
言葉をかえてもいいでしょうかね。

効率性や合理性を求める昨今の風潮ならば、これこそが
みんなの大好きな特効薬であり必勝法であり成功術だ。
ただし、使用上の注意として
よく咀嚼して納得してという条件付きですよ。ぴんぽん

で、そうでないとどうなるかというと
ずっと満たされない閉塞に陥ってしまう。
もしくは、厄災を引き寄せてしまう。
ちょっと脅しのようですが、まっそれくらい言わないと
真面目に聞かないので、脅迫しておきましょう。
それはマジです。

循環させる。これが大事です。
個人も社会もすべて、これが重要だ。
話が拡散するので社会とかは別として、
個人の話に限定すれば
あなたは、循環しているだろうか?
その循環のメカニズムはどのようなもので質量はどんなものか?
そういうのを考えてみてくさだい。

「自分さえよければ」
こんな考えが横行し、それに対する批判はある。とは別に
「まず、自分がしっかりするのが大事」
「自分のことだけで精一杯」という意見もある。

また、キレイゴトとか、
その行動に自己顕示欲とか見返り期待を嗅ぎ取って
嫌悪することもあるでしょう。偽善とか御利益教とか
自己満足とか・・・

本音と建前でいくと完璧に建前論で
本音派は絶対にそれを許しません。
じゃあ連中のすべてが建前論だけかというとそうでもない。
また、本音論者のその本音が本当にその人の本音かどうか
それも怪しかったりするものです。

そういう論争はニワトリかタマゴかのようなもので
性格の悪いニワトリもいれば、腐ったタマゴだってある。
どっちが先かって話と、どっちが正しいかという話とは別だ。
どっちも正しい。両立しなければいけないものです。

そういったことを自己満足と批判する人もいます。

自己満足でいいんだと思いますよ。
結局は、自分の価値観や基準でしか満足は得られないわけです。
ただし、そこには真贋があり質の高低さがある。

自己確立、自己独立からの自由こそが
人間が求める最終欲求のゴール地点です。
幸福というもんはその段階で醸しだす雰囲気なんでしょうね。

その手段として、「自分さえよければ」発想は障害になる。
というか方向が逆なのだ。これに陥ると迷宮に入って破滅する。
とても恐いものです。罠っていうぐらいですから
甘い誘惑もあるんでしょうね。だから危ない危ない。
ついつい引っかかってしまう。

それと、欲求や欲望を否定しちゃいけませんよ。
要は、小さい、セコい欲求欲望じゃなくて
大きな欲求、欲望を持つことです。
その内容で真価は問われる。
間違っても1000万円の欲求欲望より1000億円だぞ、と
胸を張るなよ。
億億万円なんて言い出したら小学生低学年の与太ですからね。

ポイントはひとつ
循環させることだけを考えて行動すれば
まず、間違いはありません。

循環です。