あかんたれブルース

継続はチカラかな

幸福の邪魔者

Jの食卓・労働とボランティア(1)


なんか深いテーマをJJ.が提示してきました。
先日、おっじ夫妻との会話で
ボランティアについてテーマになったことに触れましたが
労働と絡めてボランティアについて
腰を据えて考えてみたいと思います。

「労働」と「ボランティア」
この相反するふたつを同時にテーマにすることに
違和感をもつかもしれませんが
個別にやっても漠然とすることはミエミエなので
このふたつを足したり引いたりして考察してみます。

労働からボランティアを引いてみます。

労働-ボランティア=なんだと思いますか?

答えは、「お金」です。

労働-ボランティア=お金

ボランティアも労働なのですがそこにお金が存在しない。
うり坊からお金が付随するボランティアもあると
ツッコミが入りそうですが、そういうものはあったとしても
ここでいうボランティアはお金を求めない
純粋な観念的な一般的意味のボランティアです。

では、労働+ボランティア=?
なんだと思いますか?

嬉しい、楽しい、気持ちいい!

これが答えだ。

つまり、必要とされ、喜ばれる。
こういった人間が持つ欲求を満たしてくれるんだな。

人間の三台欲求を喰う眠るヤル、いや失礼
「食欲」「睡眠欲」「性欲」と考えられていますが
ここにもうひとつ
「認められたい」というのがある。
「喜ばれる」というのはそこに付随するものです。

これは自分自身からと他者からの両面です。

わたしが「愛」を自己愛と無償の愛とするのは
これとリンクするもので
この認められたい欲望は「愛欲」と考えてよろしかろ。

仕事がボランティアだったら、当然それは幸福だ。

理想論だと思う? 非現実的だとイラつく?

人間はその理想に近づこうとする性質がある。
だからそれを否定してしまうと
人間性に背を向けることになるから不自然が生じます。
閉塞感というものはそこから発生している。
不健全なのです。精神的にも肉体的にも。

非現実的と考えてしまうのは
現在の環境や状態に照らし合わせての相違であって
現在のそれが絶対的ではありません。
常識なんてものそうです。
それは人間の歴史が立証しています。

また、いまのままでいいと満足しているのなら
それで十分いいのでしょう。
それじゃあしんどいとかつまらんとか
思うのであれば変えればいいだけの話で
政治、権力云々を持ち出す前に
まずは自分からそういった固定観念を払拭させることが
話の筋としては、順番としては、ただしい。

歯を磨かない子が、磨かないことを当たり前として
磨くということを、理想論だとか非現実的だと
いってるのと同じだと思う。
磨かないでやっていけるのならそれでもよろし。
なかにはそれでえも虫歯にならない人もいますからね。
ただ、年頃になって歯糞がたまって口臭がひどいと
他人には、特に異性には嫌がれる。
そんなの関係ないというならそれはそれでよろし。

理想論とか非現実的と言い募るのは
歯糞のたまった駄々っ子でしかないわけだ。

人間というものは一人では生きていけないものです。

話をもとに戻して

労働とボランティアがセットになれれば
こんな良い事はありません。
しかしなかなかそれが難しいわけだ。
なにが難しいか、邪魔するか?
ふたつを差し引いて生まれるもののせいだ。つまり、

労働-ボランティア=お金


金が邪魔してる。



つづく