あかんたれブルース

継続はチカラかな

偉人のハト胸

Jの食卓・労働とボランティア(4)


労働の対価としての等価交換

これを求める人は多いものでざいます。
これがあわないから苛立つわけだ。
できれば、余計に見入りよく貰いたいこれも人情。

搾取、サービス残業、時間と自給カット・・・
それで収益を上げれば日経新聞は企業努力と賛美して
カリスマ経営者はテレビにひっぱり蛸。

マジに思いつめるとウツになるので
適当にしておきましょう。

前回『坂の上の雲』の正岡子規の「本を読め」から
お金の有意義活用の術の一例を紹介しましたが
この話には続きがありまして
相談者の後輩は就活で朝日新聞社にしようかどうか迷っていた。

当時の子規は東大を落第して中退すると
新聞『日本』の記者なのですが、
朝日新聞の給料は高い。対して新聞『日本』は安い。
それでも子規は新聞『日本』を進める。

十の給料で十の仕事をするのは当たり前
七の給料で十、いやそれ以上の仕事をするものは偉いと。

こんなことを確かいった。めんどくさいので
原本を確認していませんが確かに似たようなことを言った。
実際には『日本』の給料は五以下だったかもしれません。

身贔屓もあるでしょうが、ライバル心から
朝日を馬鹿にしてるわけではないのです。
実は朝日新聞と新聞『日本』は非常に仲が良くて
『日本』から池辺三山など多くに記者が朝日に入社していきます。
朝日新聞の基礎は彼らが作ったといっても過言じゃない。

子規が言ってるのは労働に対する
「金」の一番絞りなのだ。

えげつない経営者のことはひとまず横に置いてみて
金にはそれに振り回される罠がありますから
子規がいうようにまず
偉い人間を目指してみるのもよいのではないか。

世の中みてるひとはみている。なんていいます。
わたしもよく使う言葉だ。
誰がみてるんだと思う? 偉い人がみてるのです。

誰がみてると思う?

自分自身が一番よくみているんだ。

偉くなろう。
胸を張ってあるこうじゃないか!