あかんたれブルース

継続はチカラかな

心の番人

Jの食卓・労働とボランティア(5)


>自分の心を見張りなさい

りんちゃんが友人から送られた言葉です。
グッとくるね。

これを伝えた相手が男性ならばロマンスグレーのナイスミドルだ。
年齢は52歳以上、つまりわたしより年長者。おっじか?じゃないなあ
わりと大きな会社の重役クラス
営業畑じゃない総務かなんかで
社内派閥には属さない中間派寡黙なタイプ
無論、わたしじゃ、ないなあ(涙)

女性ならば、もっと若い可能性は高い。
早熟タイプ、クールで尖がった
少女マンガでいえば吉田秋生の作品に出てきそうな
群れない少数派だ。
教室の窓から校庭の先をみつめている・・・その先には
学校を抜け出してパチ屋に逃げ込もうとするJJ.と馬太郎
「なにをみてるの?」
クラスメートのりんちゃんが声をかけた
「別に」
彼女はふり返らずにそう答えた。な、感じです(笑)。

もっと年齢が高ければ樹木希林みたいな
コシノジュンコみたいな荻窪から国分寺の間に在住。

みたいな(汗)


さて、妄想は別として
りんちゃんのコメントから

>人の心は見張りやすい
>自分には点が甘くなる…

これはどちらの言葉かはわからないけれど
わたしの感想を今日は記事にしてみます。わたしの、感想ね。

確かに人の心は見張りやすい、ものです。
自他というものがある。
私達はこれで分けて自から他を観察します。
言葉から表情から様々な材料をもとに相手の意図を
心の動きを捉えようとする。

それで相手を支配しよういうものではない
お互いが傷つかない境界線を計っているのかもしれないし
相手のさびしさや欲求や狡猾や善意や嘆きを察しようとしてる
のかもしれません。それは色々だ。

機微というものがあります。

最近はこういのが鈍くなっているようで
察せられない人が多い。懐疑が強いのせいもあるかな?
また、世間知というものも希薄になってきている。
いつか記事にしましたが「相場観」がないんだな。
計る基準も非常に怪しい。
自他があるとして、その「自」というものが非常に怪しい。
これは今に限ったことじゃない。
本来、自分自身ってものが一番曖昧で頼りない信用できない
もんじゃないかと思う。

「自分の心を見張りなさい」

他人は、裏切るものです。必ずといっていいほど
しかし、肝心な自分自身が自分を裏切っている。
そのとき、私達は誰かの、何かの、せいにします。
正当化するために否定していくんだ。
それは精神の仕業だ。
心は、魂と精神でできている。
魂はなにもしない。できない。寡黙です。

「自分の心を見張りなさい」

魂と精神が乖離していく
心が分離していく
あるべき自分が変容していく
魂が悲しんでいる。

「自分の心を見張りなさい」

他人に目を奪われるまえに
自分の心を見張りなさい


これ、もらたった。
口説き文句手帳に追加しちゃおう。うっしっし