あかんたれブルース

継続はチカラかな

人生最悪の拷問

Jの食卓・労働とボランティア(9)


労働を改善するための障害に
日本人特有の嫉妬とビビリあるとしました。
これは日本人に限ったことではないでしょうが、
勤勉と知恵、島国という環境から若干その傾向が高いのでしょうかね。

嫉妬の動機には、
平等と公平を求める。
で、自分中心というだけじゃなく
個人と地域とか共同体の(村)グループから発する。
共同体→個人の流れです。

馬村が豊かだと鹿村は嫉妬するわけだ。
馬村人はこれは自分たちの努力の賜物だからと主張する。
単純な嫉妬構造です。いわゆる格差ですよね。
鹿児島県に生まれたものは東京都など大都市に生まれたものと比べ
さまざまなマイナスがあります。プラスもあるでしょうが
とにかく上京するだけで一苦労。
こういうのはなんとか是正していく必要もあるでしょう。

問題は馬村鹿村のなかでも嫉妬がある。
そのなかでも格差があるからだ。

鹿村の長はうるさい馬村人を抑えるために
そのなかの一握りに月五升の米を与える。
それでも鹿村村民の最低収入には届きませんが
それでも馬村村民のなかでは富裕層階級だ。
この馬村富裕層がこのままで幸福と考えてしまうところに
島国のセコさがある。
また、貧しいが故に馬村のなかで揉めている。

乞食のなかに貧民と大貧民の格差が生まれる。
古典的な施政者の統治テクニックとして
不公平や差別を逆利用したものです。

市町村合併を反対する心理はそんなところでしょう。


もうひとつ、成長・発展には競争原理が必要と考えられている。
東西冷戦から社会主義共産主義は理想とされながら
結局、成功しませんでしたよね。
文化大革命後では牛乳一本運ぶだけの仕事をする
パジャマ姿の労働者もいたそうです。

社会の平等をもとめれば、そこから不平等が生まれる。

そういう不公平感を不安がるわけです。
自分は真面目に一生懸命、頑張って我慢しているのに
なんで怠け者のズルっ禿げのあの連中のために
働かされないといけないんだ。

この発想がずっと悪循環を生んでいる。

そういうのがあるから、
まず制度やシステム云々の前に
労働というものの価値観を変えてしまったらどうだろうと
思うわけです。敵はまず金にあるわけだ。

働く→お金 から お金→働く、働きたい。

お金を払って旅行に行く。見方を替えれば出張だ。
お金を払って旨いものを食べる。グルメリポーターも仕事です。
お金を払って風俗に行く。これも労働だよね。
お金を払って酒を飲む。打ち合わせみたいなもんだ。愚痴も聞いたりする。
後なにがある? 運送業はドライブだし
お金払ってスポーツジムに通う。まったくの肉体労働じゃないか。

その労働に歓ばれるという満足感と自己実現、自己確認が
あればいいんですよね。
水商売の女の身の上話や愚痴を聞くのも
下心があっても別に関係ない。恋愛もまた楽しい労働ですから。

こう考えれば、いまでも十分に労働をお金で買っているわけです。

競争原理を持ち出して
そこに不合理非効率性を声を大にしていうほどの
ことはないと思うのです。

競争をまったく否定するつもりはないのですよ。
スポーツやゲームは競争ですから
でもスポーツやゲームは遊びでもあって
私達はそのために実際にお金を払って楽しんでいる。

キューバーダイビングと海女さんの違いがわたしにはわからない。

それじゃあ生活していけない。
じゃあ生活できたらどうなのか?
生活できたら、ホントに働かない?
そうしていられるの?

いけるわけないじゃないか。
退屈で死んでしまうよ。
世の中なにがつらいかって、暇ほどつらいものはない。