あかんたれブルース

継続はチカラかな

「器」のじゅげむは貧乏徳利

魔と呪(3)


JJ.からの強い要望で
「器」というものが決して先天的なもの
ではないこと
つまり宿命的なものではないことを
はっきりさせてほしいとありました。

もとより、器は磨いていく鍛えていくもの
ですから、器の大小は後天的なものであります。
いや大小は関係なく
また、大小はなく、あってもさほど意味はない。
体の大きな人小さな人
太った人痩せた人ぐらいの話です。

ただ、それをそういってもおおかたの人は信じない。

信じません。

これまでそういう事は記事にはしてきたと思う。
「ごもっとも、」として
流してしまうのがオチでしょうねえ。

「もって生まれた」という思想が支配してる。


わたしが器をドンブリ茶碗みたいなものではなく
壺というか一輪挿しの花瓶とか徳利としたのは
その器が大小では査定されないことに
ひらめいたからでした。

わたしは中島知子が割合好きでして
今回の件はちょっとショックだった。
あの太りかたと二重アゴ・・・

昔、「笑う犬」かなんかで中島が演じた
居酒屋の女のコントに、惚れたのだ。
それなのに・・・(涙)

しかし、なぜ彼女が? となる。
たしかに人は変わる。

  一年二年は夢のうち まさか笑って待てば
  三年四年は洒落のうち 数えて待てば
  五年かければ人は顔立ちもかわる

     中島みゆき『トーキョー迷子』より

変わる人
失敗する人挫折する人たちはみんな
器が小さいことになるのか?
西郷さんもたくさん失敗したぞ・・・

変わる人
よく変わる人悪く変わる人
器の大きい人は悪く変わらない? そんな(汗)

器の大きい人は、変わらない。
そんな認識がある。
すでに完成されいるから?


これ、変だよね。

だから、器というものは
ドンブリ茶碗みたいなものではなく
壺というか一輪挿しの花瓶とか徳利みたいなもので
その間口の窓の部分が呼吸弁のような
社会の窓となっていて
その窓が広がったり狭まったしている。

中島知子はいまそれが
とっても狭くなって萎縮してしまっている。

そこにジャストミートのお肉大好き占い師の電波をキャッチ
食う寝る悪口言って発散させて食う寝る・・・ところ
じゅげむ じゅげむ ごこうのすりきれ かいじゃりすいぎょの すいぎょうまつ うんらいまつ ふうらいまつ 食う寝るところに住むところ
の家賃を滞納して問題が発覚露見した。
 
当然太って二重アゴ

中島知子は太りましたが
彼女の器が最初から小さかったとか
小さくなったとかじゃない。
大きさの問題じゃないのです。


わかった?