あかんたれブルース

継続はチカラかな

絆という言葉



東北大震災からちょうどう一年が経ちました。
一年前の今日の、午後の二時過ぎでしたか
揺れましたねえ。
それが長くて、いままでに経験したことのない
揺れでした。

わたしは関西の友人とケータイで会話中で
そのときは繋がっていましたが
一度切るとケータイは繋がらなくなった。

テレビを着けたら

津波が静かにやってきた。
そして大きく激しくなって、わたしはなぜか睡魔に襲われた。
興奮すのではなく、なぜ? 不思議だった。

それから、原発事故だ。


わたしたちは歴史の証言者になった。
昭和34年生まれのわたしは戦争を知らない子供たちです。
空襲も終戦のどさくさも知らない。
東京オリンピックをかろうじて憶えているところから
わたしの記憶はスタートしている。
水俣病、公害、浅間山荘事件、万博、月面着陸、
オイルショック(紙不足)、江川問題竹の子族ひょうきん族
豊田商事社長殺害、バブル景気、ボディコン、ジュリアナ、
チェルノブイリ原発事故、サリン事件、阪神大震災、イラン戦争、
9・11、3・11

年齢差によって始まりは別でも
3・11の東北大震災と福島原発事故はみんなが共通して
体験した歴史的事実です。

絆という言葉を私達は復興の手掛かりにした。
そのときからわたしのなかでは冷ややかなものが流れた。
それがスローガンとなってメディアで叫ばれれば叫ばれるほど
わたしは心配になっていた。

 家を丸ごと流されてしまったシスター
 父親の葬儀で帰省して立ち往生してしまったシスター
 それから仕事を失ったブラザーもいた。

ただ、それを震災直後に発することに躊躇もあった。
ひと月ほど経って、手と声の輪でそういうテーマがあって
ようやくそのことを言いました。
それはそうなんだろうけれど、なんか違うんじゃないか、と。
ヒヤヒヤものだ。

なんかさ、キレイ事ですまされてしまいそうで怖かった。
絆という言葉が本質を包み隠してしまいそうで恐かった。

「愛は地球を救う」
そうだろうと思う、けれど、愛を信奉する馬太郎でも
そういったイベントのキャッチフレーズには引くよ。

それはわたしの愛の記事に
うり坊やよし姉たちが苛立つのと同じ感覚だと思う。

昨年、わたしは
「絆」という言葉に苛立っていた。

そんなわたしが、昨年一番感動したのは
長渕剛が被災地に慰問に行った映像だった。
いくつかをまわった後で
長渕剛自衛隊の援助救援宿営地で『乾杯』を歌った。
体育館につめかけた自衛隊員が肩を組んで
一緒に歌うのだ。
部隊も違う若い隊員たちが肩を組んで揺らして歌っている。
泣きながら歌っていた。

 乾杯! 今 君は人生の
 大きな 大きな舞台に立ち
 遥か長い道のりを 歩き始めた
 君に幸せあれ! 


感動した。絆を感じた。
評価されない生き方というものはつらいよね。
彼らが評価されるのは厄災や有事のときだ。
わたしは長渕剛に対して特に好きとか嫌いはなかったけれど
偉いなあと思った。自衛隊員のことを忘れなかったことが。
言葉を超えるものがある。
それは歌なのか
いや、そうじゃない。行動だよね。
言葉が悪いんじゃない。言葉ですまそうとしたり
言葉で隠したり誤魔化したりするのが問題で
その言葉ちゃんと使うことが大事なのだと
教えられました。