あかんたれブルース

継続はチカラかな

じゃあ峰不二子は?

旅路の果てから因まで3センチ(2)


国際化、グローバルなどといわれてお久です。
日本の常識は世界(外国)の非常識ともいわれた。
けれども日本人の国際化はなかなか進まない。
その壁を英語力として
もっと英語教育に力を入れろという人も多い。
インターネットが普及しても
英語ができなければ世界とは交流できないんだと。
いっそのこと国語を英語にかえろとまでいう。
なんか明治時代にそういう話があったことを思い出す(汗)。

だいたいこういうことを言い出す人は英語が堪能の方です。
外語大とか上智とかどこどこの英文科出身とか
残念ながらわたしの第二外国語は標準語で
第三が広島語、第四が大阪弁(涙)、ポルトガル語も少々

外国人と交流(会話・交信)することが国際化なのか?
とわたしは疑問に思うのですけどね。

と、思えば、最近は義務教育で英語は不要と主張する人もいる。
たとえば、中学高校または大学まで英語やったとしても
ほとんどまったくしゃべれない。
英語の授業の在り方にも問題があるのでしょうが、無駄なんじゃないかと。
学校で教えるああいった文法などは欧米人でも難しいのだとか。

英語はもっと専門的に、やる人はやる。
選択制のものとして、スペシャリストの養成教育とか
たとえば、通訳とかビジネスコースとか
で、一般教育としては会話をメインにする。
平均的にあるレベルにしようとする、この平均的レベルの基準が
問題なのではないかと思ったりします。

さて、日本人の国際化についてですが
そりゃねえ、
昔は農協の団体客が海外旅行でヒンシュクをかったものです。
そういうのは民度の問題で英語教育とは関係ない。
東南アジアに買春ツアーに行く人たちも同じ。

戦前の日本人はダメだったのか?
語学云々とか民度でいえば断然いまより劣るはずなのに・・・
そんなことはないんですよ。

国際化は国際化として、
日本人の良さを海外にアピールしてみるのもいいんじゃないかと
つまり、相手の土俵にあわせるだけでは
勝負や恋愛や商談・交渉事はうまくいきません。

長所と短所は表裏一体ですから、
やさしは正直さ善良さは
甘さや間抜けになったりするものです。

東北大震災のときは奇しくもそれが世界の人たちを驚かせた。
知り合いの中国人が言ってました。
日本はいい国だと。日本人はやさしい。

日本の良さ、義理とか人情とか
こういう精神的なものを私達日本人自身がバカにしてきた
これが日本人の国際化を阻んでいる要因じゃないか?
語学の壁は確かにあるけれど、それ以前に
日本人特有の資質やスピリッツというか特性というか
個性があってこそ、海外で認められるのではないか?

そういうものが戦前の日本にはあった。
少なくとも昭和30年代まではあったはずです。

そういうことをずっと疑問にもっていました。
では、日本人の義理とか人情とか信義を重んじる
スタンスが海外に受け入れられるのか?

この疑問に対して

日本の文化に漫画(アニメ等含めて)があります。
これが世界でも認められていることは立証されている。
ビーバップハイスクール』なんていう
ヤンキー学園おバカのキッタハッタ漫画がありましたが
アトムとかドラえもんだけでく、こういいたものが
世界でも通用していることをどう思う?
アフリカとかイスラエルでも人気だったみたいですよ。

ルパン三世は無国籍アニメではあるけれど
ルパンも次元も五右衛門も、なんといっても銭形警部は
ギトギトの日本人です。
イタリア人はなんでそういうのを好むのか?

語学だけに、言葉だけに偏重するんではなくて
もっと精神的なものを心棒にしないと
通用しないんじゃないかな。

欧米文化はつまりはキリスト教文明です。
そのバックボーンは聖書にある。
このなかで、人間は神と「契約」します。
日本人にはそういう発想はまったくなかった。

日本人はまず信用する。
それがダメなのだといわれてきましたが、
契約書で成立する社会っていうのも無理がないか?
その無理が現在の世界の矛盾なのではないかと思う。
キリスト教文明を否定はしないし、できない。けれど

日本人のそういう良さにも
目をむける時機ではないかと思います。