あかんたれブルース

継続はチカラかな

等々力警部のような人

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物を言ったり書いたりすることは恥ずかしいことです。
ある意味で自分をさらけ出すことですからね。

嘘ってものは相手は騙せても本人はそれが嘘だってことは知っています。
いい嘘だったらいいですが、そうじゃなければ
それなりにはねかえってくる、ものです。

また、言ったり書いたりする内容、表現、質によって
その人の質が露出されるものです。

センスを問われる。

不祥事があったときの責任者の弁。
責任回避に終始する無責任なものが多いですよね。
額面通りなのです。その発言が、その人そのもの。

かといって、揚げ足ばかりとる風潮もどうだろう?
議員もマスコミも一般市民もガミガミですが
その取り方も言ったり書いたりするわけですから
センスを問われる。

言論の自由大義名分に、言ったものが勝ち
声の大きいものが勝ちの風潮です。
このへんで言論の暴力ってものを考える時期ではないか。

でも、法では規制できません。

日本人の特性に「恥」がある。
最近、とくにこの恥の文化がうすれている。
様々な理由が考えられますが、問題の本質は
何が恥しいことかという恥の基準がズレているのだと思う。
ここにも民度の向上と並行している稚拙化がある。

言ったり書いたりすることは恥かくことでもある、ことを
ホントはみんな知っているんだ。
このリスクをおかしてまで行動する動機は欲求です。
なんのためにそういうリスクをおかしてまで主張しなければならないのか?
その中身ですよね。

リスクとは、責任を伴うということです。
マスコミのリスク回避は組織と業態と報道の自由
そこに正義を重ねている。
売れればいいわけであり、売れれば支持された裏付けになる。
これ、けっこう危険で、先の戦争の大きな原因はこれだ。
日の丸や君が代の問題じゃない。
実際に満州事変から新聞は売れに売れたのです。
(上のグラフ参照)

ネットでのリスク回避は匿名性だと思う。

どんな大義名分があろうが、匿名だろうが、
文章は嘘をつきません。
読書離れが指摘されていますが、それでもミステリーは人気です。
テレビ・映画でもサスペンス劇場やコナンは人気だ。

そういう気持ちで文章を読み解くといいかもしれません。
要はフェアかどうか?
迂闊に世故いトリックにひっかかって
等々力警部みたいに
「よし、わかった」と手を打ってミスリードしていくか
どうか・・・ここが間抜けの迷い道。
等々力警部とは金田一耕助シリーズの名脇役狂言廻しです。
幸いにも金田一名探偵が方向修正してくれるので大事には至りませんが、
あれは小説、映画の話。

ババを引くかどうかセンスが問われる。
かといってパスは三回まで
さあ。どうする。
わかんない?
そういうときは席を立つ。
見られているんですよ。
あなたが、どのテーブルのどんな面子と一緒にいるか。