固くなに定まった観る念力
フェアに生きる大敵は
「固定観念」というやつです。
人間は経験を積んで成長しますが
その人生の航海の方舟の船底につく牡蠣ガラが
この固定観念というものだと
秋山真之はいっておりましたっけ。
まあ、人間は相対的にしかモノをみられません。
比較ということです。
フェアということは
できるだけ自分との利害を切り離すことでしょうが
バカみたいにそれをやると
修行僧の苦行になってしまう。
なるだけ、生き方や在り方、目的などを
フェアにしとかないと矛盾が生じる。
工夫ですかね。
で、そこで
固定観念が邪魔になるわけだ。
固まってしまった観念ですからねえ
結局は経験則で育まれた
思い込みです。当人はそう思っているわけで
信じています。ちょとやそっとのことじゃ
気がつかない。
あなたが頭にのっけてるのは帽子ではなく椅子です。
と指摘しても
「余計なお世話です」と不興を買うことが58%
また、指摘する側にも固定観念があるから
椅子に見えているのも怪しい。
ホントは帽子かもしれないし、42%
仮にそれが椅子みたいで帽子ではなかった場合
本人さんがそのことに気づいたけれど
葛藤を生んで立ち尽くし落ち込んむ場合が23%
ところがそれを第三者が
相手が傷ついたと
批判し始めて騒ぎ出すから話がややこしくなる
指摘するほうもめんどくさくなって
言わなくなるので
固定観念の椅子の帽子を頭にのっけてる人が
増殖して、毎日のことですから
椅子が重くて首と肩が凝って腰痛になって
支障をきたす。
まあ、だいたいは気づいてはいるんでしょうが
どうもこれは椅子なのかもしれないって。
でもいまさら、そんな、引っ込みつかないし
他もみんな同じだし、総務課の高橋さんはソファーだし
得意先の佐藤さんは学習机だから
まだましか。
というわけで、
固定観念は厄介なものだということを
記事にしたっかったのですが
なんか・・・いいのかなあこんなんで?