あかんたれブルース

継続はチカラかな

そんな言葉で誤魔化さないで

根本的な勘違い(11)


自分らしく

よくいわれるアドバイスの定番です。

あるがままに
なんて文学的な表現もなされる。

その自分ってものが厄介なんだろ
と思う馬太郎ではありますが
「自然体」とかはよく使っている。
もしかしたらどこかでわたしも
「自分らしく」という言葉は使っているかもしれない。
ほらね
この自分っていうものが如何にいいかげんか

いいかげんって言葉もどっちにでも転ぶ
よい加減か、デタラメか
まったく人間ってものは厄介な代物です。

言葉遊びとか言葉狩りじゃなくて、真面目な
真剣な話です。こら目を瞑るな服脱ぐな

この自分らしくについてはっきりさせたい。

それには、この「自分」というものの捉え方が
まず第一にある、と思う。

自分を信じないというわけではなく、過信しない。
じゃないと、
自分らしくイコール我が儘になってしまう。
そうなったらあとは開き直って、ツッパッテ
天下御免の向こう三軒両隣揉める揉める
世間や、家庭や、最終的には自分とまで衝突しちゃう。

「そんなこといったら」

ま、最後までお聞きよ。
自分らしくあるためには、なにか拠所というか
指針のようなものが必要だと、思う。

せっかちな人はそこで「悟り」なんてものを持ち出すから
始末が悪い。そんなまやかし表示を見ろよ中国製だ。

そんなんじゃなくて
いにしえの旅人が北極星をたよりにするような

ここではそれを夢(ドリーム~ビジョン)と
したけれど、本日はもっと根本的に、
なんか山岡鉄舟がノリウツッタみたいですが、

それは「筋」なんだと思う。

自分らしくということは
己の「我」を通すことじゃない。

「筋」を通すことにある。

自分の我とはあくまでも個人的なもので
曖昧な、いい加減なものです。どうとでも解釈できる。
そこに正義とか大義名分はいくらでもくっつけられる。

筋を通す。という場合は、
もうすこし具体的で客観的で
その筋の良し悪し、無理筋かどうか
比較的にわかりやすく、また責任も明確です。

それで納得できてやるんだったら、よし。
そこの「自分らしく」があるのだと思う。
その結果、会社を辞めようが、喧嘩しようが別れようが
借金背負おうが、すべて自己責任であって
はじめから納得してやったことなのだ。

すくなくとも我を通して
あとで泣き言をいうこともない。あっても少ない
と思うのです。

なんにせよ、自分ほどいいかげんで
アテにならないなものはなく
鏡や泉がないと自分で自分の姿は見えないものだ。
他人のことは簡単に見えますけどね。
それが正しいどうかはあまり関係ないから楽です。


では、本日のまとめ

自分らしく、といわれて戸惑うよし姉さん。

おそまつでした。