あかんたれブルース

継続はチカラかな

ノスタルジアの隠し味




夜勤明けのルイちゃんの睡眠妨害するものは借金の催促でも
エホバの商人でもなく、お嬢のケータイだ。

内容はサバを買ってきたからサバの味噌煮の作り方を教えろ
とか、サワラがどうしたこうしたとかの調理法について。
母に似て、食い意地は天下無双の大丈夫ですが、
現代っ子なのに、手近なファーストフードで手を打つことはない。
これも文化というか、「食」へのこだわりかな(笑)


  ルイちゃんがほろりと零す

  子供四人育てたけれど、男の子たちは結婚して
  奥さんの味で新しく家庭を築いていく
  私の味付けを受け継いでくれるのは
  結局、お嬢ひとりだけ


なんともせつなくもあるつぶやきだった。


さて、おふくろ味

わたしたち三丁目の夕日世代にとって
おふくろ味とはとても懐かしく遠い日の花火のようなものです。

どんなレストランでも隠れた名店でも
あの味は表現してくれない。
だって、もろ個人的な我が家の味、おふくろの味ですものね(汗)

妹の幸子はもう一度あの味をと母親に懇願してみるのですが
「もう忘れちゃったよ」と取り合ってくれません。
老いていく母親。それとともに封印されていくものが
たくさんあるわけだ。

それでも、あきらめきれないのが食いしん坊

幸子は同世代のお客さんにリサーチしてみたところ、
この話題にお客さんも食いついた。
この女性もまた食いしん坊万歳の70キロ級。

で、彼女も母親を問い詰めるのだそうな
けれども、そんな特別なことはしていないよお
とつれない返事。

適当に味の素を入れてササッツと作っただけ、だそうです。

ん、んん? ・・・味の素?

この言葉におふくろの味捜査官食いしん坊一課幸子は
もう一人の友人A子の都市伝説を思い出した。

十数年前、A子は自宅近くの定食屋に入って
そこの味噌汁に感動しました。
う、美味い。
それから病み付きになって毎日通います。
小汚いなんていうことのないありふれた定食屋なのですが
味噌汁が美味い。だけでなく懐かしい母親の味に似ていた。
いったいどんなダシを使っているのか?
そして、ある日
レジでお勘定を払っているときに、そっと奥の厨房を
覗き見して、驚愕の事実を目撃したのです。

厨房では初老の御主人が今まさに大鍋で味噌汁を作っている。
そこに、業務用の大きなカンカンのあれは、あれは確かに
あんあんあああん、味の素!

味の素といっても今の若い世代は食品会社のブランド名としか
認識しないでしょうが、そのものズバリの調味料があって
各家庭に必ずあった常備調味料だったのです。
他社の類似品には「ハイミー」とか「いの一番」とかもあった。

明治41年に田菊苗博士がグルタミン酸ナトリウムの製造法特許取得
このグルタミンというのが「旨み」の素なのです。そして、
翌年の明治42年に「味の素」(中瓶30gで50銭だった)は一般発売開始!
それから、日本の厨房に食卓に必ず味の素はあった。

わたしの父も刺身の醤油には必ず味の素をふりかけていた。
イカの塩、お好み焼きやポテトチップスのマヨネーズ
みたいな感覚ですかね。

いつぐらいかな・・・
味の素が体に悪いという情報(ガセ)が流れ
急速に日本人の味の素離れが起きたのです。

中国や東南アジアではヤクルトと味の素は必需品という
話を発展途上国の無知というようなニュアンスで聞いたものです。
結局、味の素の健康被害風評被害だったのですけれどね。

それでも、昭和30年代から40年代生まれの私達は
すっかりその味に慣らされていたわけだ。

つまり、私達が求めてやまなかった
あのおふくろの味の正体は味の素だったわけだ(汗)。
この話を幸子とそのお客さんは感慨深く受け止めたあったとか

しかしなあ・・・なんとも微妙な話

因みにルイちゃんは、味の素は一切使っていないと
毅然とこの話を他人事と受け流しました(汗)。


もし、この記事を読んで
懐かしいあの味を求めてやまない迷える
食いしん坊万歳の方がいましたら、試しに騙されたと思って
味の素を使って料理の隠し味にしてみてください。

もしかしたら、もしかして、もしかするかも