あかんたれブルース

継続はチカラかな

葦子へ



自分らしく、とか
自然にとかいうけれどこれが難しい。

それとワガママとかダダをこねることと錯覚してしまう
場合もあったりするものです。

それ以前にそれ以上に、甘えることも難しい。
甘えるって難しいことなのだ。

葦子もそれが出来ない。苦手です。
勘違いしている。

素直になれない。

その一歩を踏み出すのはとても勇気が必要です。
強くあることが彼女の人生の在り方だった。
甘えられる環境で育っていないからわからないのだ。

自分らしく、自然になんて
そんな生き方なんかできなかったし、
そういのを見透かされたら、弱みをみせたら
ダメなんだと何度も誓いをたてた。
苦い痛い経験がそう学ばせた。

葦子は
自分でいうほどバカじゃないんだよ。
しかし葦子はアホです。
頑固で臆病で素直じゃない。

葦子、イラチをだすんじゃない。
いくらダダこねても絶対にその不安や苛立ちは消えません。
なぜだと思う?

それはお前の魂がそれを欲していないからだ。

お前が他の連中のように
その場しのぎの浮き草のような在り方で
満足していられればそれはそれで良かったのかもしれない
けれども
それではお前の魂は決して満足しない。
また、
そういうことを許さない環境をお前は与えられた。
まるで宿命のように、だったね。

それにはすべて、意味がある。偶然じゃない。
「なんでウチだけが」なんていう
偶然のアンラッキーとかじゃないんだ。

それを因果という者もいるけれど
なにを(原)因としてなにを(結)果とするか
その答えがだせるのはまだ先の話です。
そんな連中の戯言にその因果の意味はない。

因果には縁起が付いているという。

昨年夏、お前は一度死んでいる。
あのまま意識が戻らなかったら今年はお前の初盆だった
はずです。
今生きているのは奇跡のようなものとも考える。

しかし、奇跡は必然なのだ。

いまお前が生きていること
生かされていることには意味がある。
ここに因果があって縁起があります。
その課題がいまのお前には難しいのだと思う。
重荷なんだろうね。

葦子、死ぬのは恐いか?
生きているうちに好きなことやっておかないと損と考えるか?

そういう考え方は損だぞ。
せっかく拾ったおまけのような命を、
人生を損得や
自分のことだけ考える在り方は
奈落をさまようだけです。
そっちじゃない。

縁起を考えてみて
自分の人生をふり返ってみて
君の半生のなかで出合った運命的な人がいるだろう。
37年付き合ってきた人がいる。
そこに利害や損得はなかったはずだ。
でなければここまで一緒にいれたわけないじゃないか。

そいつは、お前に似てアホですが
少なくともお前のことを誰よりも心配している。

いろいろな思いは頭を過ぎり混乱しイラつくだろうけれど
因果を考え、それが難しいのであれば縁起を考えてみる。
その友人の声に耳を傾けろ。

お前を救うのはその友人の言葉だ。

葦子、素直になって
彼女に謝まりなさい。
そしてもう一度、絆を結ぶのです。
よく理解できなくてもいいから、一言
「ごめんウチが悪かった」といって
あとは彼女のいう言葉を落ち着いて聞いてみえくれ。
答えは必ず、ヒントは必ず
切っ掛けはそこにあるはずです。

勇気が必要なことだけど
大丈夫、お前ならできる。
できることを知っているからいうのだ。

グダグダいってないで、早よやれ。
まず行動して、考えるのは後からでもいいよ。
お前の心根の良さ、地金の良さは知っている。
葦子、お前だったらできるよ。
そういう友人をもっていることを
俺にも誇りに思わせてくれ。