あかんたれブルース

継続はチカラかな

十四番目の月では我慢できない

水羊羹はどこに行ったか?(3)


外出してて遅い昼食にテレビを着けたら
BSでメリーポピンズをやっていた。

違和感なんく蕎麦をすすっていたら
急に違和感!

わたしは洋画は吹き替えのほうが好きですが
この映画は、ミュージカルなんだけど
歌まで吹き替えにすることはないのになあ・・・と

歌詞とメロディーがまったくあわない
字あまり字足らず

で、子供たちが2ペンスもって銀行に預金に行くシーンで
頭取の金融王が貯金の素晴らしさを歌う。

しかし、これがそもそも資本主義を糞詰まりさせる
金利地獄の序曲になろうとはこの老人理解していたのだろうか?
エンデの遺言でのシルビオ・ゲゼル(経済学者1862-1930)は
同時代の人ではなかろうか、なんて思いながら蕎麦をすすった。

有識者には二種類ある
良識ある見識を持つ者と
時代に沿って屁理屈を並べ立てるくせ者。

その多くが後者であって、そうでなければ生きられない
と彼らは信じている。

そしてエンデやシュタイナーやゲゼルは
異教徒として封印されたのだ。

しかし、経済とは流通であり循環である。
この基本原則は揺るがない。
にも関わらずそれに背を向ける者たち。

まるでガリレオの地動説を糾弾するキリスト教徒のようだ。

100年の後、この2012年の様相を
人類はどのように懐古するのだろうか
それもまた時代のせいにするのだろうか
はたしてそれをふり返ることが許されるのか

今から100年前の1912年
世界は、日本は、すでに資本主義の行き詰まりに瀕していた。
その打開策を打ち出せない。
策はあったとしてもそれを実行できる者がいなかった。

性急に生き急ぐものたちによって
禁じ手が選択される。
それがテロであり、クーデターであり、そして戦争だった。

エネルギーの発散を外に求める。
それを燃やすには税金と血と骨と鉄が必要なのだ。

燃え尽きたあとに残るのは
瓦礫と灰と悲しみだけである。


それでも後戻りできない右肩上がりの坂を上ろうとする。
その先がどうなっているのか
誰も知ろうとはしない。知ってはいても認めない。



(今日の格言)
丸い月夜も一夜だけ