あかんたれブルース

継続はチカラかな

時代と民衆



NHKの大河ドラマ平清盛
もうすぐ終了ですが低視聴率で
歴代ワーストワンの不名誉な記録確実
とネットニュースでありました。

面白いんだけどなあ・・・

視聴者から、「画面が汚い」という苦情が
580件あったそうです。
この苦情っていうのが、理解不能だ。

この人たちは水戸黄門とか
渡る世間は鬼ばかりのスタジオ撮りの
まわった光のライティングしか知らないか
それと比較してる?
それが普通だって基準なのかなあ・・・
しかし、そんなことで苦情の電話いれるかなあ?

なんだかんだいって、視聴者の趣味趣向というか
その基準っていうのが、わからん。
また、その視聴率の査定の仕方も信用できない。
ビデオリサーチのモニターってホントにいるの?

また、ニュースとしての取り扱いというか
捉え方、内容も意地悪だよね。
低視聴率を視聴者の意見というのを
大義名分にして批判する手法。
たぶんにNHK=権力。だから叩いても平気。
というセコイ根性卑しさ丸出しだ。

NHKは民放と違って
スポンサーが関係していないんだから
あんまり気にしないでやればいいと思う。
たかだか580人のクレーマーじゃないか。
そんなことをいちいち相手にしていたら
表現することが不自由になる。
言論の自由云々には神経質なのに
逆の表現規制はぜんぜんやり放題なんだよな。
これ、すっごい問題だと思う。

たとえば全国民の1%というネット右翼
仮に130万人が世論を代表することだって可能。
1%が99%を支配するんだよ。
不思議な話だ。


世論っていうものが、信じられない。


それでも、
たとえば、よく「プロとして」と
前置きして
そういっ状況でもヒット商品を生み出すんだ!
と力説する人がいる。大見得かな(笑)
たいがいは自分のことではなく他人事か
じゃなかったら自慢噺の伏線の場合が多い。

そう思い込んでいる人に、なまじ正論なんていうと
怒る怒る逆ギレするので、
へーそうですかあ
と、とぼけた顔して聞いているものです。


時代の流れに乗ることは
非常に重要なことだと思うよ。

ただし、
時代を追いかけてばかりいると
見失うことのほうが多いのも事実だ。

時代性の重要性を説いた
マキャヴェッリは慎重よりも大胆にあれ
とアドバイスしています。
後先を考えぬ若者のように大胆に行動せよ、と。

理屈通りにはいかないのが世の中だ。
理詰めで事がおさまれば誰も苦労なんかしません。



時代と民衆はイコールなんだろうか?

時代そのものは現象なので否定はできないけれど
民衆というものの動向はどうも信用ならない
気がして仕方がないのです。
あやふやというか曖昧というか、頼りない。

もっとさかのぼって、
人間一人、一個人の気持ちでさえも
それはいえるわけで
そういった
あやふやで曖昧で頼りないものの集合体の
動向を追うことはやはり躊躇しちゃうわけです。

わたしは懐疑する。

それは本当に面白いものなのか?
それは本当に美味しいものなのか?
それは本当に素敵なものなのか?

本当に好きなの?

本当に愛しているの?

そう思い込んでいる人に、そんなことを問えば
怒る怒る逆ギレするので、
へーそうですかあ
と、とぼけた顔して聞いているものです。


ああ、わたしの顔がどんどんとぼけていく。