あかんたれブルース

継続はチカラかな

あほ寮センター

サインはブうです(2)


あいつと知り合ったのは2006年の秋だった。
ブログを始めたのがその年の春で
ほんの三ヶ月ぐらいお試しでやって
その後で友人に誘われていたアメーバブログ
移るともりだったんだけど
最初に知り合った訳アリ女が失踪したことで
彼女を待つことになり、そのまま継続してた。

その間、いろいろな人たちとの邂逅が生まれ
どういうわけかみんなそれぞれが
何かしら抱えている訳アリさんでした。

あいつも例外じゃなかった。

わたしの専門分野である極道社会の記事に
コメントを入れてくれたのが切っ掛けだった。
訪問したら「極楽主婦のなんら」だったかな
どんな人かと最初から読み始めた。
なんてことない、たわいのない能天気さんの日常日記
家を新築して幸せいっぱいだ。あこりゃこりゃ

一ヶ月ぐらい記事がたらたらいって
頭痛が酷いとこぼしはじめて・・・
あんまり酷いから病院に行ったら
脳腫瘍だって宣告された。
そんときのあいつの言葉が忘れられない。

「なんでうちだけが」

それからしばらくブログは休止状態。

復活したその最初の記事には
大きな画像が貼り込まれてあった。
それは術後の顔のアップ。
片手で顔半分を隠してあったけど、
そりゃあ生々しい画像だったよ。

あいつの言い分は
同じ病気を抱える人のために
ってあった。

偉いやっちゃなあと思った。

それから、応援したいと思った。
といって何かできるわけでもないだけどね。
他愛もないおバカ話さ。そういうのは得意だし。
あああ、アカデミックな近現代史ブログが
崩れていくううう(汗)

なにを思ったのか感じたのか
あいつが身の上話をゲストブックに入れてきた。
それは壮絶な半生だったよ。
普通だったらドン引きしたかもね。
その次に、若い頃の写真を見てくれという。
そのときのあいつのメッセージには

「引くか」

この野郎、俺を試しやがって。
顔が商品になるほどで、新地や銀座でホステスを
してたんだという話も頷ける。
生憎、わたしはモデルさんのなかで過ごしていたから
そういうものでは引きません。

ま、そういうハードルをクリアしたみたいで
ガードをとっぱらってくれたみたい。
めんどくさいやっちゃのう。

で、次は「馬ちゃんいま電話いい」と。
なんかひと昔前のミステリハードボイルで
生島治郎みたいな)
銀座のホステスからメーッセージが届く。
苦笑いして電話したよ。

「あの、馬 太郎と申します(汗)」

この世で、何が恥しいかって
初めて電話してハンドルネームで
名のならないといけないこの瞬間だ!
風さんの家に電話したとき御主人が出て
「なに?馬あ馬太郎?」と不審者扱いされたときは
も、ほんと消えてしまったかったですばい(涙)。

で、ちょくちょく電話したりもした。
息子とも話した。
「ママ誰と話してるの?」
「うるさいなあ馬ちゃんや!」
「ボクも話したい代って代って」
おいおい(汗)
「もしもし馬ちゃんですか」
おい!ホントに代ったのか(汗)
「はい。」
「馬ちゃんは馬なのに
 なんで人間の言葉がしゃべれるの」
そ、そうくるかわけね(涙)
「馬ちゃんは勉強して人間の言葉がしゃべるように
 なったんだよう。僕もたくさん勉強したら
 いろいろな人としゃべるようになるぞお」

下の娘が美形で可愛いとのことで
うちの息子が東大か京大か筑波大に合格したら
結婚させて親戚になろうって約束した。
そしたら朝から小原庄助
朝寝朝酒朝湯の毎日だぜえ、てな感じでんがな。
両家の顔合わせは心斎橋のたこ焼屋と決めた。

よし姉、ごめんよお
Kちゃんは東大も京大もちょっと無理だわ(汗)