あかんたれブルース

継続はチカラかな

愛のメンタリズム




「すべての超常現象は歴史科学的に立証できる」

近現代史メンタリスト
馬太郎です。

人間は目に見えるものしか信じない。
そこには証が必要です。
布教しはじめた頃のイエス
証を証をと証を求められました。

証とは奇跡のことです。

即物的な「奇跡」を目の当たりすることで
人は信じるものなのだ。

愛は目に見えない。

だからなかなか信じません。

1968年にヒデとロザンナが歌った
『愛の奇跡』という大ヒット曲がある。
愛は奇跡を起こす。

ただし、これはその愛を共有する者
同士でなければわからない。

その奇跡を体感したものは、超ラッキーカムカムです。
ただし、奇跡ですからそうそう出逢わない。
ここに不公平が生まれる。
そうなると否定したくなるのが人間の常。

じゃないと、なんで私だけないのよ!
訴えてやる。となって愛は否定され続けてきました。
そこまでいかなくても
ま、そんなものでしょうかねえ。と
曖昧にされ続けてきた。
そりゃああるでしょうよ。という
お題目に棚上げされて
どこかで、「とはいっても」と
様々な条件を付随されてきました。

その条件が揃わないと愛は存在しえないと。

その条件は経済力や安定した生活
それなりの容姿に若さ、健康、長さ太さ固さ持続力
絶え間なき探究心と好奇心などなど

条件によって成立するものは
その条件に支障が出た段階で無効になってしまう。
人間は必ず老いますから
若さという条件は確実に無効化してしまう。

こういう条件を付けると
愛は陽炎になってしまうのは当然の理。
だと思いませんか?

そんなわけで陽炎を味わった人は多い。
その原因を条件を付けたことにあるとはぜずに
愛自体が「陽炎」であると
結論付ける。

これは、味噌汁を作ってお椀に注ぎ
しばらくするとお椀のなかで
上層部と下層部に沈殿現象を起こし、
下は味噌汁上は透明な・・・ナンだこれ?
だし汁か?という疑念が生まれる。

これです。

「すべての超常現象は歴史科学的に立証できる」

近現代史メンタリスト
馬太郎でした。